風呂がだいっきらいだったのに
最近、温泉にハマっています。
風呂にもハマっています。
衣服をさっさと脱いで
体をざぶんとお湯につけて
自由になる瞬間が好き。
今まで、風呂というものが好きじゃなかったわけです。
だって、1日の中で一番生産的じゃない時間だったから。
防水加工の何かを持ち込まない限りは、何もできない。
そりゃそうですよね、生まれたままの姿でいる、唯一くらいの場所ですから。
(あるシチュエーションにおけるベッド除く)
インプットもアウトプットもできない。
だからもう本当に風呂なんてのは入りたくなくて、シャワーで済ましたりしてできるだけ時間を短縮したりして。
ただ、この前、久しぶりに温泉に連れられていく機会があって
その時は正直、しぶしぶくらいの気持ちで行ったんです。
体が温まったらさっさと上がろうと思っていたのですけど
温泉に浸かっているうちに
自分がこの先どんなことをしていきたいのか、どんなことを表現して発信したいのか、なんてことをゆっくり考えました。
それはなんとも言えないほど心地よい時間だったし、なんとも言えないほど懐かしいような時間でした。
思えば、ぼくの生活は
インプットもアウトプットもそれなりにできて、している生活だったと思うんですけど
じゃあ、肝心のインプット先、アウトプット元である「自分」はどこへ行っちゃったのだろう、と。
ぼく自身を、いつ見つめかえせば良いのだろうと。
お湯を手で救って自分の顔にかけながら、思うわけです。
毎日の生活は
ニュースアプリやらタイムラインやらの情報が膨大にあふれ、
SNSを中心として自己表現する場所があふれている中で
じゃあ肝心のぼくは? ぼくという人間は何を考え、大切にしているんだ?ということをふっと思う。
魅力的な絵の具やキャンバスは溢れるけど、肝心の筆がどんな形や細さをしているのか、絵の具にまみれて見る機会を失ってしまっていたわけです。
それを温泉では、全部脱ぎ捨てる必要があって。
新しい有用な情報も入ってこないし、新しい表現先もない。
入れろとも出せとも言われない。
今、自分の中にあることを、考え直す。練り直す。
自分が本当にやりたいことは何だっけ?と嫌でも見つめ返す。
Yudomari seaside onsen / JoshBerglund19
温泉もそうだし、風呂もそうだけれど
他に何も持たず、自分の身一つで、その日1日の汚れを取り綺麗にするってことは
身体という外側の清潔さだけじゃなくて
その日1日自分の頭の中に入ってきたものをもう一度見返して
雑念を取っていき本当に綺麗で大切な考えだけを磨き出すような、そういう時間なのだろうなあ。
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