なんで死なないでいるの?
例えばそう5歳児に聞かれたら、何て言うだろう。
なんで死なないでいるの?
例えばそう5歳児に聞かれたら、何て言うだろう。
「愛が深いところには、絶え間なく、希望が流れ込んでくる」
と、アメリカの女性作家ウィラ・キャザーは語った。
「何かを約束することが大事なんだよ。
実際にはその約束を守れなくてもね。
人間は、希望だけで今まで生きてこられたんだから」
オーストリアの小説家のヘルマン・ブロッホはそう書いた。
「なんで生きているのだろう?」という疑問は、
裏返せば「なんで死なないでいるのだろう?」という疑問になる。
「死なないでいる理由」
哲学者の鷲田清一のそんな強烈なタイトルの本を読んだのは、少し前のこと。
かつての生きる意味とは、自分にとっての正しい生をまっとうするためだったという。
自分はこれをまっとうするために生まれ、まっとうするために生きていくのだと。
そこにあったのは生きていくという強い意志だ。
しかしそれは過去のこと。
今はただ、サイコロを振るように、
偶然に「今日も生きられた、ラッキー」と生きている。いや、死なないでいる。
なんで死なないでいるの?
そう5歳児に聞かれたら、
ぼくらはふと思い出す。
自分たちの人生が、綿毛のように吹いたら軽く飛んでいきそうなこと。
何か意地のようなものたった一枚で「生きる」ということが支えられてきたこと。
ぼくらが手を離せば、今にも死ぬことなんて簡単だということ。
Twitter上で日本中の注目を浴びた漫画『100日後に死ぬワニ』の100日目がついにきた。
「100日後に死ぬワニ」
— きくちゆうき (@yuukikikuchi) March 19, 2020
99日目 pic.twitter.com/wuvzqv7lgO
様々な感情の中でワニも100日を通り過ぎてきた。
喜怒哀楽。
目的なんかなくても、正しい生き方なんてなくても
ワニなりの生き方だった。
「今週末、晴れ晴れとして、桜も満開です」
そんなニュースを聞いて、雲ひとつない空の下、満開の桜が咲く未来を心待ちにする。
そんな週末が、ぼくは楽しみなんだよ。
いいんじゃないだろうか。
5歳児にそんなふうに伝えても。
生きていることに無気力な世代がやってきているという。
その一方で、
今を生きよう。
本当に今、楽しんでいるか?
こんなキャッチコピーに今の時代はどれだけもがいているのだろう。
いいんじゃないだろうか、そんなに気張らなくても。
明日、死ぬかもしれない。
明日、死なないかもしれない。
ぼくらはそんなフラフラした情けない状態で生きているのかもしれない。
ただ、そうであっても。
いま何か目の前に、愛すべき何かがあって、ちょっと先の明日に約束がある。
そんな理由で生きていていいし、
そんな理由で死なないでいていい。
人生を、かっぽしよう。
人生はもっとシンプルで脱力してもいいのかもしれない。
100日後に死ぬワニ序盤のレビューはこちら
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