幸せな瞬間を知らないまま人生終える人だっているのよ
幸せだ、と思う。
会社を18:30に終える。
寝るまでにはまだまだ時間がある。
今日は何をしよう。
週4の筋トレも、休みの日だ。
からあげ定食をたべる。
しばらく食べたかったのだけれど、家には自分で作ったご飯があるので、
「また今度、また今度」
と思って毎回食べずに終わっていた。
ちょっとだけ節約意識が働いて、
790円税抜きの定食ではなくて
590円税抜きの定食にする。
けど、うまい。
衣がカリッカリで、ごはんとからあげの間を行ったり来たりする箸が止まらない。
ご飯を食べ終わると、3分間Kindleを開くのが日課。
数ページ読む。
ぼくにとって
仕事をするってのは息を吐く感覚。
読書をするのは息を吸う感覚。
どちらかがかけていても不十分だと思う。
そして仕事をめいっぱいしてから、本を読むとじわーっと体の中に文字が染み込んでくる感じがして、たまらない。
ごはんを食べ終えたらスタバに行く。
扉を開けようと思ったら向こう側からおじさんがやってきたので、
扉を引いてどうぞとゆずる。ありがとうございますとおじさんが一礼して通り過ぎていく。
こういうやりとりをすると人間やっていてよかったなと思う。
この時期になるとスタバでハミングバードプログラムが始まる。
ハミングバードのスタバカードで支払うと1%が東北の基金に寄付される仕組み。
このプログラムがあると決まって参加するようになってもう3年くらいなると思う。
コーヒーを一口飲んでふーと息をはいてちょっと天井を見る。
スタバの天井って誰か見るんだろうかなんてことを考えながら時間を過ごす。
スタバの天井を一番見ているのは、たぶん、ぼくだ。
幸せだ。
と思う。
歳をとってきてわかったのが、幸せな瞬間、自分の体がどんな反応をするかってことだ。
ぼくの場合、ちょっとだけ心臓が強く一拍打って、かゆくなる。
比喩とかではなくて、本当にそうなるから、
「ああ、いま幸せだ」
と分かる。
20代前半は金に飢えていた。
何のために金を追いかけていたのかはわからない。
金を持つことが幸せへの近道だということは分かっていた。
ただ、金を持つことが幸せだと思っていた。
金を持つために、金が欲しかった。
その先に待っていたのはラッドレース。
ハムスターがカラカラおもちゃを回すように、来る日も来る日も金を追い求め続けた。
1分1秒を金に変えたかった。
結果的に幸せだ、なんて実感することはなかったし、
幸せな瞬間に自分自身がどんな反応をするかなんて分からなかった。
今年32歳になるわけだけども、この歳で自分が幸せに感じる瞬間に出会えて良かった。
「幸せな瞬間を知らないまま人生終える人だっているのよ」
と知り合いのおばあちゃまが話してくれたことを思い出す。
人生を、かっぽしよう。
幸せな瞬間を見つけられることが、幸せなことなのかもしれない。