ぼくにとって30歳になったということ
先に書いておくと、この文章はあんま読んで楽しい文章ではない。
希望に満ち満ちた文章でもないし
人によっては、読んだ後に不愉快に似た気だるさを感じるかもしれない。
それでも、ひとつの区切りとして、
この場所に今の感覚を、文章として残しておきたい。
30歳になっても、何も変わらないと思っていたし、何の感慨もないと思っていたのです。
8月8日で30歳になりました。
10歳になったときの感覚は、よく覚えていません。
20歳になったとき、これからいろんなことができるんだとちょっとわくわくしたのを覚えている。
自分でバイトもできて、好きなように時間を使えて。これからの人生、思ったことを思ったようにできるんだ、少しくすぐったい希望がありました。
30歳になったときは。
朝起きても何も変わらなくて。
30歳はもっと迫りくる何かがあるのかと思っていたけれど、案外そうでもなくて毎朝のコーヒーを淹れて、飲んでいて。
きっと来るんだろうなと思っていた親からの誕生日おめでとうメールを開封して、何にも考えずにこうメールを返信した。
「こんなぼくでもついにここまで生きてきました」
と。
何にも考えずにおふざけ半分で送ったのだけど、出社までの時間ぼけーっとしてコーヒーを飲んでいたら、じわじわと「ついにここまで生きてきました」という言葉が強くなってきて、「生きて、きたんだな」と「がんばったな、おれ」と思って、実はちょっと泣いて。
母ははっきり言わないけれども、あるときから、ぼくが夏の花火みたいに大きな音を立てたあとに突然命を捨てるようなことを心配している。
その心配をぼくは知っている。
ぼくはあるときから
「いつだって死んでもいい」
と思うようになって。
「楽しく生きよう。いつ死んだっておかしくはないし」と思っていた反面
「疲れたら、あんまり生きることに意味はないな」と思っていて。
中二病だと思ってます。
長く長く続く中二病なんだって。
そして、それは今でも続いてて。
三島由紀夫を読んで、燃えるように儚く生きる描写へ感銘を受けたことを母に語って大げんかしたことを、今でも覚えてる。
村上春樹を読んで、俗世を離れていく人生もあると母に語って、諭されたことを覚えてる。
鴨居玲の強烈な絵の力に惚れ込んで、カラー印刷したものを部屋に貼っていて、その狂気を力説したら
「あんたとは違う考えの人だからね」
と、熱をさまされたことを覚えている。
今でも、母の意見は、ぼくの好奇心を萎えさせる発言だったと思っている。
けれども
あのとき母は、「そっち」の道に息子がひた走らないように、息子が行っちゃいけない場所へ行かぬよう、母として必死で止めていたんだって今なら分かる。
「生きろよ」
母から来たのは、そんな返信。
30歳からの自分の人生は、どんな方向に行くのか分かりません。
良いことも、悪いことも、何があるのか。
なんでもできそうな気もするし、
何にもできなさそうな気もしてます。
「希望に満ち満ちています」
「これから先いいことが待っている」
なんて、エネルギーのあることを言えはしません。
でも、ほんとうにきれいごとでもなんでもなく
この歳までぼくに関わってくれた人への感謝はすごくあるのです。
こんなぼくでもついにここまで生きてきました。
そんな明るい内容じゃなくてごめんなさい。
けど、ありがとうございます。
生きていくことは、意外と楽しい。
人生を、かっぽしよう。これからも