フラれたときほど人の優しさを知る【100日後に死ぬワニ】
上司にものすごく怒られたり、好きな人にやっと思い切ってLINEをしたのに無視されたりして、絶望したり、不信感を持ったり、悲観したり、憎しみを抱えたり、殺意を感じたりする。
例えば上司の一言に落ち込んで、そういう日に限ってケータイを無くしたりして、世界で一番自分が不幸な人間な気がしてくる。そんなときに後輩からお願いされた資料をメール送付したら「ありがとうございます!」なんて返ってくる。自分が気にもせずにやったことに底抜けなくらい感謝してきて、なんだかたまらなくその一言に救われて、泣きそうになることがある。
好きな人にLINEしたのに無視されて、そのくせSNSを元気よく更新していて、堂々と未読スルーされていて、ふざけんなとか愛憎の念がこみ上げてきて、もう誰も信じられないとか塞ぎ込んでいるとき、友人からの「ご飯行こうよ」って一言が天使なのって思う時がある。
負の感情をまとったときほど、ちょうど良く、誰かの何気ない一言に救われることが多い。
負の気持ちは伝染する。
そして伝染した自分も誰かにもっと強く負の気持ちをぶつけようとする。
ただ、その一方で、途方もない負の感情に包まれるほどに、今まで気づいたことのない優しさに気づきやすいとも思う。
今まで気付かなかった小さな幸せや優しさを感じるのは、今まで味わったことのない大きな負の感情を持つからなんだと思う。
相変わらず「100日後に死ぬワニ」を読み続けている。
物語もあっという間に半分を過ぎた。
ワニの死を見るのが耐えられないから作者アカウントをブロックしたとか、自分がいざ突然死んだらどうしようかと考えて死後のSNS管理を考え始める人がいるなど、いろんな人がこの作品で影響を受けている。
ワニは、と言えば、序盤このまま淡々と死を迎えていくのかと思ったらやはりそうでもなかった。
意中のワニが陰で「いつも誘ってきて困っている」と話すところに遭遇して絶望に暮れる。
「100日後に死ぬワニ」
— きくちゆうき (@yuukikikuchi) 2020年1月14日
34日目 pic.twitter.com/kOEGqFbtiT
自分がテキトーな扱いを受けて怒りを感じたりした。
「100日後に死ぬワニ」
— きくちゆうき (@yuukikikuchi) 2020年1月19日
39日目 pic.twitter.com/tKNuhoxAn0
ひとつの絶望という負の感情が、それ以外の憎しみになっていく。
それでも、また他人の優しさに遭遇したりして優しさを思い出す。
「100日後に死ぬワニ」
— きくちゆうき (@yuukikikuchi) 2020年1月26日
46日目 pic.twitter.com/Mpg0zqCHKg
ワニはこれからどんな優しさと出会っていくのだろうかと、こちらも優しい眼差しで見つめてしまう。
誰も気にしてない優しさのほうが、世界を救うことのほうが多いのかもしれない。
肩の力の抜けたところから出た優しさが、ぼくのことなんか気にしていないからこそ、気持ちを楽にすることもある。
人生をかっぽしよう。
飽き飽きするほど負の感情で溢れてはいるけども、世界はそれだけ優しさ成分でできている。