他人に傷つけられたときこそ、僕らはめちゃくちゃ優しくなってる
最近、ブログで恋愛のことなんて書いていると「フラれるよりもフるほうが多いんじゃないの」なんてことを言われるようになったのだけど、そんなことないし、むしろその逆だと思う。
圧倒的にフラれてる。
恋愛のことを記事にする人は他の人よりもよっぽどフラれていて、だからそこで学んだこととかどこにも行き場のない気持ちを文字にするんだ、するしかないんだっていうのが持論。
「恋愛ブロガー」は「フラれブロガー」なのである。
そしてまた、フラれることによって他人に傷つけられると、今までの付き合いがあった人に優しくなれる。
ただそれは別にフラれる場合だけではなくて。
ブログを書いていて罵詈雑言を何十人から浴びせかけられたときとか、
ブログ以外でも他人からものすごく無下に扱われたり言われたときとか
そういう時なかなかたくさんあるのだけど、そのとき、なんだかものすごく他の人を優しく扱いたくなる。
先日も、ひどいくらいに他人の言葉に傷ついて踏みにじられ、苦しくなったときがあって。
たまたま用事があってかけた電話に普通に出てくれた友だち(男) の第一声が
「やっほ〜」
で、なぜだか無性に感謝の念と抱きしめたくなるような感情が湧いてきた。
そしたら、やっぱりぼくの様子は普通じゃなかったらしくて
「あれ、なんか変だよ?どうしたの?」
と言われたけれども
ぼくはずっと
「すいません、ゴミクズです。こんなぼくの話を聞いてくれてありがとう」
と繰り返していた。気持ち悪かったと思う。
ごめんなさい、と思う。
ゴミクズです、と思う。
ゴミクズだったんです、と思う。
他人に否定されると、「おいマジふざけんなよおええええい」ってなる。
けど、実はそうじゃなくて。
逆で。
否定と拒絶がそもそもぼくらの他人に対する態度なんだわ。
「好きです」
「イヤです。は?」
「これ面白くない?」
「え、どこが?ぜんぜん分かんない。は?」
が普通なんだわ。
だってぼくら根本は「違う者」なんだもの。
そりゃささくれ立つのが日常茶判事だわ。
エヴァじゃないけどさ。
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だから、逆に気づく。思い出す。
他人にじぶんを否定されたとき。
全くささくれ立つことなく、イガイガもキリキリもせずに今までやり取りできていた関係の奇跡みたいな状態に。
で、なんて言うか、「こんなゴミくずのような人間に普通に接してくれてありがとうございます」って感じになる。
「っていうかぼくは気づいてませんでしたけど、あなたはずっとこんなにもものすごい優しさでぼくと接してくれていたんですね」ってなる。
コミュニケーションがささくれ合わないのは、奇跡だ。
傷つくたびに、思う。
人生をかっぽしよう
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