人生かっぽ

人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

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100日後に死ぬとして【100日後に死ぬワニ】

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今日が人生最後の1日だと思って生きろ。

という言葉は、亡きスティーブ・ジョブズの言葉として、有名になった言葉だ。

https://www.evernote.com/l/ACZttFdQ1qFNf5SdkieyRz59G8P8Y5TSyA8B/image.jpg
明日死ぬかのように生きよ。
永遠に生きるかのように学べ。
という言葉は、ガンジーの言葉だ。

こういう言葉を聞いて、もやもやとして感情を抱え、少しでも前向きにいきたいと願うモラトリアムのぼくのような人間は打ち震える。
そうだ、生きてやるのだ。
人生は一回。情熱を燃やして、生きるのだ。

と、言ってるそばからもし死んだとしたら、その次に瞬間がまさに死のその瞬間、つまりジョブズの言う「今日」だったり、ガンジーの言う「明日」だったらどうか。
「いや、たしかにそう思ったけど、ちょっ、ちょ待てよ」
ってたぶん、思う。そして後悔いっぱいで死ぬ。

「100日後に死ぬワニ」
という2019年末からTwitter上で話題のきくちゆうき氏作の4コマ漫画がある。

毎日1日ずつカウントダウンされるワニの日常。その斬新な作品スタイルで一気に引き込まれてしまい、ぼくも毎日楽しみにして読んでいる。

普通、こういう類の話は、美しく語られる。
「余命なんちゃらのかんちゃらシリーズ」のようなものは、主人公やその周りの人間がある時点で余命を知り、その悲劇的な人生を嘆き、そこからそれでも残りの人生を強く生きたりして、最後はやっぱり亡くなってしまったり、する。
実際にそういう方はいらっしゃるから、それがお涙頂戴でサムイとか、そういうことを言いたいわけじゃない。
ぼくらだって、そういう悲劇を心のどこかで望んでいたりする。
だからこそ、そういう作品は長い時代でやっぱりヒットするんだと思う。
タイムリミットがあると人は物語を紡ぎ出す。できる限り人生を有意義にしようとするから、周りが見ていても語りやすいかたちになる。

でも、この「100日後に死ぬワニ」は違う。
たぶん、だけどこのワニは100日後に自分が死ぬとは分かっていない。ただただ、生きているだけなんだと思う。だから、この漫画のワニは正直物語としては退屈してしまうほど、普通の日常を送る。友達のお見舞いに行ったり、ラーメンを食べたり、好きな人を食事に誘って断られて引き下がったり、ありきたりで、そこいらにある、浮きも沈みもしない日常。

ワニが死ぬことを知っているのは、そうするとぼくらだけってことになる。
だからぼくらは、そのワニの残り100日の人生が美しいものであれと心のどこかで祈っているから「そんなことを今はしないで、ほらもっと他のことを…」とか「ああ、良かったね、ささやかな幸せを見つけられて」とか思って見守ってしまう。

100日後に死ぬと実感していないワニと
100日後に死ぬと分かっているのに何もできない自分たちと。

けど、考えてみれば
こういう死が、そこかしこにありふれているんだと思う。
「人はみんな死ぬ」
そんなの小学生でも知っている。
ぼくだって、すぐ横にいる大切な人だって、まだ会いたい離れたあの人だって、
いつか、死ぬ。

ただそれが、ふっと息を吐いた次の瞬間、綿毛が飛ぶような一瞬だなんてことは、誰しもが思っていない。

一瞬一瞬に全力を注ぎながら生きるなんて、ぼくは無理だ。到底できない。
けれど、誰しもが自分は100日後に死ぬワニかもしれない。
ってことは考えてもいいのかもしれない。
死が「いつか」ではなくて、明確に、はっきりと、この日来ますと言われたら何をするか。
意外と何もしないのかもしれないけど、一瞬一瞬への愛情は、変わりそうだなと思う。


人生を、かっぽしよう