ふと気づけば、悩んだりして【マインドフルネスについて】
集中力はどちらかというと、無い人だと思う。
スマホで調べ物をしようとしたのに気づけばSNSを開いていて「あれなんだっけ」と考え込むし、気づけば机の上はいろんなもので溢れているし、この前なんて右手に衣類洗剤を持ちながら左手に包丁を持とうとしてさすがにひとりで吹いた。
小さい頃に公文式にお世話になっていたのだけれど、3枚のプリント教材を進めるのに2時間もかかっていて帰るのはいつも最後のほうだった。
ほとほと呆れるほどに集中力がない。
集中力がないばかりか、頭の中には雑念ばかりが浮かぶ。
あれ大丈夫かな、来週これどうなってるんだっけ。ああ、あのときこうしておけばな、あーそういうこともあったよね、あの人元気かな。あれあの人とあの人って仲良いんだっけか、あーあの人嫌いだなあ・・・・・・・・
目の前にはPCがあるのに、そればっかりがあっちゃこっちゃ気になって、PCはいつの間にかスクリーンセーブになっている。PCにすら呆れられる。
「マインドフルネス」という本を読んだ。
言葉自体は有名で知っていた。ちょっと聞きかじったくらいだと「瞑想」とかそういう類の言葉があったので、やめた。あんまりスピリチュアルにつながりそうなことは手を伸ばさないようにしている。オカルトが嫌いっていうより、効果が実感できないことにあんまり時間を割きたくないからだ。
それでも、Kindleの無料本にあったから、ものは試しと読んでみた。
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マインドフルネスってのは、一言で表すならば「今ここに全力で集中する」という状態。
現代は思い悩む時代だ。
目の前に何かあるのにそれ以外の色んなことを思い悩みながら生きる。そのひとつの理由は知的生産、デスクワークが増えたからではないかと思う。体を動かして目の前のことを動かすというよりも、頭の中にいろんな現場を思い描いて解決をする。だから頭をあっちゃこっちゃのことを絶えず考える。もうひとつの理由は、インターネットの普及でいつでも他人と過去の情報に触れることができるようになったからじゃないかと思ってる。こうやって、今、目の前、ではない情報に振り回され、余計に思い悩み、結果的に今、目の前に集中できなくなってしまっている。
「今、ここ、の意識があるから、私たち人類は卓越した存在になったのです。他の生物は過去や未来、あっちやこっちの比較概念がないのです」
と、大学時代の先生が社会学の講義で言っていて、なるほど確かにな、と納得したことを思い出す。
卓越したことがアダとなり、頭でっかちになり、今度は逆に苦しむ。
筋トレをしていて、すっきりするのはこれだなぁと気づいた。
筋トレは目の前に集中しなければ、トレーニングの効果は得られない。ギリギリの重さでやるから、他のことを考える暇がない。今、この瞬間に効いている筋肉はどこなのかということを意識して動かさないと、トレーニングの最大成果は得られない(これマジ)。
集中力のないぼくのような人間が集中している奇跡。
マインドフルネスへと向かう方法としてあげられているのは、呼吸に集中する瞑想やジャーナリングという「書く瞑想」などがある。
最近ぼくもこの「ジャーナリング=書く瞑想」をやっているんだけど、やっぱり頭のすっきり感はすごいから、知識の選り好みはいかんなあとつくづく思う。
筋トレ、瞑想、書く瞑想、今に集中する方法は意外と身の回りにいっぱいある。
思えば映画がリラックスできるのもそうで、目の前の画面を見続けそれだけに没入しているだけでいいからなんだろうな。
様々なことをたくさん考えることができる時代だからこそ、「今ここ」だけを考えられる状態が贅沢な時代でもあるんだし、そういう時間を作り出せることが自分の中にあるのであれば、それはそれは尊いのだと思う。
人生を、かっぽしよう