役に立たない記事ばかりのブログ
役に立たない記事がブログには必要なんだと思ってるし、人間にも役に立たない発言が必要なんだと思えてしょうがない。
ぼくはせわしない人間だし、じぶんで言っちゃうんだけど勉強熱心な人間だと思う。
ノートが大好きなのは、一瞬たりともひらめいたことや役に立ちそうなことを逃したくないからだ。
時間節約術が大好きなのは、1秒でもトクな時間にしたいからだ。
小説よりも実用書が好きなのは、すぐに周りから「すごい」と言われる人間になれると思うからだ。
とにかくじぶんの人生の1秒たりとも意味のない時間にしたくない。だってじぶんの人生だからさ。
なんてジョブズ信者が聞いたら泣いてハグしてくれることを思っていた。
「大地さんはいつも意味を見つけようとしていて、人生疲れませんか?」
とよく言われた。
「疲れないよ」
といつも返した。だってね……と長々とした説明をよくしてあげた。
「大地さん、生き急いでませんか?」
と言われることも多かった。
「生き急いでないよ」
といつも返した。むっとしながら。
ずっと意味がわからなかった。
じぶんの生き方の何が疲れるというのか。
じぶんの人生のどこが生き急いでいるのか。
しかしぼくはそれを純文学を読み始めることで鮮明に気づくことになる。
純文学は淡々とした日常が書かれているし、浮きも沈みもほぼしない。
主人公は宿命を背負うわけでもないし、毎日使命が与えられるわけでもない。
周りで起きていることを考えながら、感じ取りながら、あまりマッチョな感じで乗り越えることもせず、日々を過ごしていく。
エンターテイメントの刺激を求めている人からすると味気ない。
けれど、そこがいい。だからこそ、一瞬で終わらない。
何もなくても読んでしまっているじぶん。
そして、気づく。
疲れるのは、ぼくではなかった。
生き急ぐのは、ぼくではなかった。
ぼくを見ている側が、そう感じてしまっていた。
だから、ぼくに問いかけるようなかたちで聞いてきていたわけだ。
ぼくは結局誰かの役に立つためのコンテンツでしかなくて、
それは一度役に立ったら用なしで。
見る側は毎度毎度ぼくを目の前に問いかけられるわけだ。
「今日はコイツいるか?」なんて。
で、要らないようなら、近くにいたいとは思わない。
世界はけっこう辛辣よ。
けっきょくじぶんの人生に意義を見出したくて、
それが「誰かにとってじぶんは意義ある存在になりたい」に変わって、
それが最後は「役に立たないならこの人近寄りたくないな」に変わる
というなんとも皮肉な結果を呼んでしまっていた。じぶんで。
役に立つことばかり書いていると、
見る側は「役に立つこと」が見たいのであり、
「あなた」を見たいわけではない。
だから、「あなたの文章が読みたい」「あなたの考えてることが知りたい」にならなくては、この穴から抜け出せない。
作品の内容だってエンタメと比べると純文学はたんたんとした日々が描かれていたりする。
でもね、自分はそういうのが好きでさ。純文学作品を読みながら、その作家の人生の断片を垣間見たような気分になれる。
役に立たない記事と大多数に思われる記事ってさ。自分から言わせると、その人を全面的に出している文章が多いと感じる。
役に立つ記事だけが全てではない。むしろ役に立たないと言われている記事の中に書き手の原石が眠っているような気がする。
ぼくもユーリオさんと同じくそう思う。
(そしてユーリオさんの記事を読んでこの記事を書こうと思った)
こうやって意味のない記事や言葉は純文学のように「あなた」そのものへの興味を呼んで、離さない。
それは「恋人の日記」をのぞくような感覚で。
この点、
なぜ人は「練り込まれたプロの文章」よりも「友だちのくだらない投稿」のほうがおもしろいと思うのか?
ということを通して『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』を手がけた佐渡島さんがものの見事に解説している。
食事は格別に美味しい料理でなくても、家で食べるほうが美味しい、と感じる人が多いと思います。恋人と食べる料理は、料理の質は関係なく美味しいと感じやすいですし、逆に苦手な人と食べる料理は、特別な料理でもそこそこの美味しさにしか感じないことがあります。
つまり「美味しさ」というものは絶対値があるわけではなくて、「関係性」の中で決まるのではないか。同じように作品の「おもしろさ」というものも絶対値ではなく、関係性の中で決まるのではないか、という結論に至りました。
雑誌や単行本において、「作品」と「読者」の関係性は固定化されていて、身近とはなかなかいいづらいものがあります。
一方、SNSでつながっているのは、知り合いや興味のある人たちです。親近感のある人たちとも言えます。身近な人が発信するから、ぜんぜん知らないプロの文章よりも「おもしろい」と感じるのです。
おもしろさというのは〈親近感×質の絶対値〉の「面積」だったのです。
あ、ちなみにこのことが描いてある佐渡島さんの本は、コンテンツの作り方について目からウロコの考え方ばかりでブログ書く人には超オヌヌメ本です。
- 作者: 佐渡島庸平
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2015/12/11
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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話戻すと。
「あなた」そのものへの関心や親近感を持たれなければ、「役に立つか立たないか」という天秤に乗せられ続けちゃうわけです。しんどい。
その点、小山田咲子さんのブログをまとめた本『えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる』は今でもぼくの中で最強のブログだ。
これでぼくのブログなり、人としてのあり方の価値観はガラリと変わった。
読めばだれもが咲子さんの恋人のような気持ちになってしまうわけだ。
役に立たせようなんてまったく思ってない彼女の言葉を、毎日のように読み返してみたくなる。
「今日はご機嫌どうよ?」って感じでのぞいてみたくなる。
この「今日はご機嫌どうよ?」って近寄りたくなる人ってのが、ひきつける人なんだと思う。
そういうわけで、ぼくはこのブログでも、日常生活でも、
役に立つか立たないかという天秤ではかられ続けたくないので
〈親近感×質の絶対値〉を高めるために
常々「おつまみみたいなブログ記事を書きたい」と言ってきた。
それと議論とか意見とか適度に言わないようにも心がけておる次第です。
ゴリゴリマッチョな記事や発言もたまにはいいけど。それだけだと、見ている方が疲れるから。
ネコの話とか、大事ですよ。ネコは地球を救う。
一時的にぼくの日常や視線や思考に「わたし」を忘れて没入してもらう体験を提供したい、と。ね。
そういうふうに考えると、「恋人の交換日記」ってのが、
ブログの記事として最強な気がしてならないのだけれど。 その仮説はどうだろうね。
人生を、かっぽしよう
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