成田先生ありがとう。だってこうして僕は文章を書き続けているのだから
あなたの中で得意なことはなに?
他人と比較しなくてもいいから、自分の中で考えて、これだけはっていうもの。
と聞かれて口から出てくることは、そもそも何がきっかけで得意だなんて言い始めたんだろう。
ぼくは文章が得意だ、文章が好きだ、と言いたい。
成田先生が思い浮かぶ。
小学一年生のとき、この前あったマラソン大会のことを作文に書いてくださいということを言われた。
ぼくは8位で悔しかったときのことを書いた。
兄貴が長距離走が得意でいつも一番だったから、それがじぶんにもできると思って、けどそれができなかった。
その悔しさを書いた。
今でも覚えているのは、悔しくてポロポロと涙が落ちることを表現した部分を、先生が大きな丸をしてくれたこと。二重丸を越えて、もはやそれ指紋じゃないかくらいの丸をしてくれた。
返ってきた作文を見たときにその丸があまりにも嬉しくて、ぼくの中に「文章っていうのはこれでいいんだ」とパッと視界が開けた瞬間だった気がすることを覚えている。
その花丸をくれたのが、成田先生だった。
ぼくは成田先生のいっつも大きな口を開けて笑う姿が好きだった。同じクラスの子を弱いものいじめしてこっぴどく叱られたことも忘れられないけども。
「今度、作文コンクールがあるから」
先生のそのあとの言葉はよく覚えていない。
ぼくの記憶は、次の場面では、放課後に先生と一対一で机に向き合って、褒められた作文を書きなおしているシーンだ。
ぼくが市の作文コンクールにクラス代表として選ばれて。
小学一年生の頃だった。
ぼくは市の作文コンクールで最優秀賞をとった。
市の小学生たちの作文がすべて載って分厚い冊子になっているときに
「大地くんが最優秀賞を取りましたあ」
それがクラスのみんなの前で、誇らしかったし、飛び上がるほど嬉しかった。
で、気づいたら、むくむくと浮いてたわけです。
何はなくとも文章がある、という安心感。
おおげさに言えば、世界の底にクッションでもあるような感覚が。
小学校4年生ときには、短い物語を書き始めて。
初めて書いたのは
紙飛行機がだれも友達がいない子の友達になってあげるというもので、最後は土にかえるのだけど、そこから立派な木が家に生えて、それを見に来た子供達と友達になるという話だった。
そこから小学校6年生とかはスターウォーズみたいなの書いてたな。
エルフとか、獣人とか、なんかそういうのたくさん出てきて、星を奪い合うみたいな話。
中学生になると、生徒のチャレンジをいろいろ面白がってくれる先生で
自主勉ノートに小説を書いていったら、学級通信に載せない?と提案してくれて、なんと学級通信に連載を持つようになった。
中3も同じ先生だったから、中3のときも「じゃあやろっか」って感じで連載をやらせてくれた。
見てくれた人もたくさんいて。
学級通信は教室の壁に貼ってあったから、気づけば隣のクラスから楽しみに読みに来てくれる子がちらほらいたし、
参観日のとかにクラスの子がじぶんの親の手を引っ張ってきて「ほら、この人が小説連載してるんだよ」なんて、小説を読んでくれている親の方がぼくのところに来てくれたりした。その頃からおばさんに好かれるオーラはあったのだよわたし。おばさんキラー。
そういうわけで
ぼくはどちらかというと文章を書く機会に恵まれていたし、じぶんもその機会に飛び込む勇気があって。
そして今はこうやってブログを書き、まがりなりにも多くの方に見ていただいている。
ブログを書こうと思った直接の原因こそ、以前書いたように彼女のためだったのだけれど
そもそもの点で、学級通信の連載も、ブログでも、文章という方法を選んだのは、ぼくには文章があるんだというこんこんと湧くような自信からだった。
けれど、ぼくには文章があるんだ。文章こそ伸ばすべき強みなんだ。なんて思える根本の理由は、なんだろうな、と考えると、小学一年生の頃の体験なんだなあって思う。
しかも、作文コンクールで最優秀賞をとったことというよりも、あのときの成田先生が書いてくれた指紋みたいなぐるぐる花丸が何よりも脳みその奥底にずっと柔軟剤を10回くらいかけたようなホテルタオルのクッションみたいに残っている感じがする。
それはきっと、技法とか型とか、そういうこと一切抜きで、「いいね!」って花丸をしてくれからだって思う。
そこにたしかにいるひとりの読者、そしてぼくが本当にいい先生だと思っていた成田先生が喜んでくれたのだと思えたからだ。
人生を生きてくると、強みと言えること、特技と言えることは増えてくる。
けれど、本当にじぶんの人生に何もなくなって、じぶんの中の何かに頼って生きていかないと、となったら、ぼくは「文を書くこと」を選ぶ。
誰かよりも優れているとか、めざましい才能とかそういうことではなく。
誰かとの比較をこえて、ずっと揺らがずにそこにあるもの。
そういうものを、多くの人がやっぱり持っていて、
さかのぼって聞いてみると、それはそういう「すごいね」っていう一言だったり、印だったりするのだと思う。
指紋みたいな花丸のような、印。
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