強みって案外簡単に見つかった
誰にも負けないあなたの強みってなんですか??
「何が趣味ですか?」
という質問と同時に困るのがこの質問です。
なんだかやたらと「強み」だとか「ストレングス」とか、そういう言葉が、就職、転職、インターン、ちらほら出る世間で、いざ問われると言葉につまる。
「あ、えっと、あの諦めない気持ちですかね」
なんて当たり前すぎて自分でも軽蔑しそうな言葉がとっさに出て、そのたびに自分は自己紹介ってのが苦手なんだなと思う。
当たり障りのない言葉で逃げる。
強み
っていう凶器のような言葉がぼくらのコメカミあたりにずっと突きつけられていて。
なんでもかんでもうまくいっている時期ならその突きつけられた凶器は気にしないで過ごしているけど、突如小石につまづいたようにうまくいかなくなると、突きつけられていたことを思い出す。
ああ、強みってなんだったっけ。
ああ、私ってなんだったっけ。
この前友人の誕生会で鶏の唐揚げを作って、絶賛されたという話を書いた。
www.jinseikappo.com
そのときのみんなの喜びようって、きっと酒が入っていたというのもあるし、テンションが上がっていたからなんだと思うけど、本当に動画にでも撮って見せたいくらいだった。
ぼくはそれをキッチンに立って背中で聞きながら、「みんな褒め上手だなあ」とほくそ笑んで聞いていた。
中には最後の洗い物をしているときに
「あの味付けはどうやってやったの?」
と聞いてくる人までいた。
ぼくとしては、ここまで言われるともはや謙遜の域を超えて
「いや、すいません、どこぞのレシピサイトで見て作ったのをそのまんまやっただけです。
オリジナリティとかなくて、すいません」
と思っていた。
西友で見つけた安い鶏もも肉にフォークで穴を開け、ぶつ切りにして
ショウガとニンニクをみじん切りにし
それらをビニール袋に入れて、オリーブオイルを入れ揉み込む。
片栗粉をつけて180℃ほどの油で揚げれば完成。
うん、ぼくの見た料理サイト以外でもどこかにはきっと載ってそうなレシピではある。
ただ、今回鶏の唐揚げを作った理由がちょっとだけあって。
なんならある程度味が確かなものを作りたいと思ったとき、前に唐揚げをつくったときに恋人がぼくの唐揚げを褒めてくれた。
この唐揚げは今まで食べた中でも圧倒的に上位!
という嘘偽りなさそうな言葉にぼくも嬉しくなり、それが自信になっていた。
こうやって強みやら自信やらってのはできていくのか。
先日、唐揚げの思い出を振り返りながら思った。
強み
たぶん強みが出来上がっていくのは
ひとつは偶然の連鎖
ひとつは自分を持ち上げてくれる環境
この2つが必要なんじゃないだろうかと思う。
別にチキンステーキでも良い場面で偶然に鶏ももの唐揚げをつくり、
その鶏もものからあげを本当に美味しいと持ち上げてくれる環境があった。
そうすると、どこぞに書いてあるだろう鳥もものから揚げレシピを作ったぼくでも、何かあればこれを作っていこう、これを前面に押し出していこうと思えるようになるという仕組みなのだと思う。
親がさ
〇〇君は世界で一番!!
っていう褒める姿があるけど、あれ本当に大事なんだなと思う。
別にやることはサッカーでも野球でもそろばんでもピアノでも釣りでもゲームでも良くってさ、
それがこの子は手足が長いからバレエねなんてそんなこともどうでも良くて、手足長く立ってゲームでも良くて
あと隣の家の子供と比べてどうだとかそういうのもいらなくて
今目の前にいるその人が本当に素晴らしかったら素晴らしいね!の一言がこんなにも人類に勇気と希望を与えるんだと思うとなんだか悪くないなこの世界もって思う。
で、たぶんぼくがこうやってブログ書いてるのも小学校の先生のおかげだ。
成田先生ありがとう。だってこうして僕は文章を書き続けているのだから - 人生かっぽ —佐藤大地ブログ
大人になると、褒めることはとても難しくなる。
褒める側が素直な気持ちと言葉で褒めづらくなってどこか嘘っぱちになること。
褒められる側がうがった見方をしてヨイショする本心はどこにあるのかと考えるようになること。
こういう「賢さ」が身についちゃうから、大人になればなるほどに、ぼくらに強みは身につきづらい環境になっていく。
だから良いんだなって思ったんです。
あの日、鶏ももの唐揚げを褒められたことをそんなにうがった見方はする必要なくて
「そうか、もっと唐揚げつくってみようかな」って受け止めていけば。
受け止めていければ。
そんな言葉をかけていければ。
こめかみに突きつけられている凶器みたいな言葉にもいつしかビビらなくていいときが来るんじゃないかって。
人生を、かっぽしよう