人生かっぽ

人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

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恋人がそばにいる理由は「身体が満たされるから」になってく。これからの時代

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「身体が寂しい」という感覚が、恋人たちが襲うような、
そんな気がしています。


LINE、SNS、テレビ電話、そういうデジタルなものが普及する
「これでいつでもどこでもそばに感じられるね」
そんな体験が増えるほどに感じるのは、
身体の寂しさ。


Christmas Dinner Setting
Christmas Dinner Setting / austinmcgee

遠くに離れていてもそばにいる体験ができる

Christmas Eve Dinner
Christmas Eve Dinner / svenstorm


先日、auのサービスである
12/24にだけオープンするレストラン「Sync Dinner」
についての動画を見ました。


クリスマスイブの夜に
東京と大阪の遠く離れて会えない二人のために
あたかも近くにいるかのように感じるディナーサービス。


まずは動画をごらんください。




モーションセンサー効果で乾杯ができたり
遠く離れた場所のケーキのろうそくを消せたり
そばにいるかのように記念撮影ができたりします。


sync dinnerについて詳しくは

SYNC DINNER by au



これ自体は素敵なレストランだし、
こうやって遠く離れた二人が
近くにいるかのように感じるのも
素敵なことだと思います。


けど、これを見るとこれからの時代
テクノロジーが生み出す「一緒にいること」に感動する一方で
テクノロジーによって「一緒にいること」に悩むことも
多くなるのではと思います。


二人が一緒にいる意味って? と悩む時代が来る


Dinner @ Christmas Eve
Dinner @ Christmas Eve / jetalone


こうやってどんどんどんどんテクノロジーが進化していくと
メッセージや相手の姿くらいならデジタルな信号で置き換えられます。

あたかも
「そこにいるかのように」
感じます。


そうすると、次に恋人やパートナーに上がってくる課題が
「二人が一緒にいる意味」
ということになってくると思うのです。

つまり、どういうことかと言うと
「こんなにそばにいる感覚がどこでもできるなら
 距離的にそばにいる意味ってなんなんだろうね」
と。


これに拍車をかけるように
(あるいはこういうことがあるから)
働き方も変わることで、
パートナーが一緒にいる日数は減っていくでしょう。


一緒にいる日数の調査結果は
見つけることができませんが
交通や連絡方法が発達して便利になった今
全国を転々としながら働けるようになり
パートナーが会わない日は、
これから増えていくんじゃないでしょうか。


身体の安心感で良いじゃない

Christmas Dinner - Cena Natalizia - 07
Christmas Dinner - Cena Natalizia - 07 / Racchio


そうやってデジタルなもので
そばにいる感覚がどんどん満足された先に
何が残るのかっていうと
身体だったり、感覚
のようなものだと思うのです。


それは例えば、明日死ぬってなったときに、
クサいこと言うようですが、
誰に抱きしめられていたいのか
あるいは
あったかさを感じるほどに
すぐそばにいて欲しいのは誰なのか。
そういうものです。


こういう「あったかい」とか「気持ち良い」
というような身体の感覚は
今のところテクノロジーでも
補えていないものだと思います。


まあ、こんな大げさで高尚そうに言っていますが
その「直感」って具体的に言うと何なのかと言えば
手をつなぐとか、キスをするとか、セックスするとか
そういう身体的な触れ合いのことです。


動物的なものって、
この理性とか論理とか権利とかの
「頭で考えたこと」をすごく重んじる時代において
すごく無視されがちで、ともすると低俗なもの
と考えられがちなのですが
だからこそ、忘れがちで、
けどある瞬間にふと不足状態に気付くものだと思うのです。


だからこそ、
身体的な温もりを見つめてみようと、いうことです。


最近増えがちな
添い寝するだけのパートナー関係である
「添い寝フレンド=ソフレ」
もこういうような社会状況に適応するために
生み出されたものではないかなと思います。



「一緒にいる意味」なんて無理に考えない


ぼく自身、恋人関係において
「一緒にいる意味」っていうものを考えるのが
すごく大好きだったのですが
何年も、何人も、色んな関係で一緒にいると
「一緒にいる意味」っていうものが
どんどん分からなくなってくるのですね。
で、見つからないと
「そもそも一緒にいなくてもいいんじゃね?」
と思って、自ら存在意義をつぶすようなことになってくるわけです。


一緒にいる意味を考え出すと、
「顔を見ることができる」 →「テレビ電話」
「連絡したいときに連絡できる」 → 「LINE」
「一緒に顔を見てご飯を食べられる」 → 「SYNC DINNER」
こういうデジタルなものに
どんどん一緒にいる意味を置き換えられていく世の中で
どんどん自分たちが一緒にいる意味を失ってしまいます。
「ほら、これで一緒にいる意味は満足できたでしょ」
「じゃあ、そばにいなくてもいいね」
っていう風に。


そうすると、どんどん
頭では理解できない、身体的な寂しさを
感じるようになっていく
と思うのです。


だったら、そうやって無理して
一緒にいる意味を、頭で考えて理解しようなんてことをやめてみる。
体や感覚に委ねてみる。


「なんとなく身体のそばにいたい」でも全然いいし
「どこが好き?」なんて質問に別に答えられなくてもいい。
直感がそう言うから、一緒にいる。
それでいい、という風に。



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