駄菓子屋という政治の中心地
今はもう閉まっている駄菓子屋がある。
幼い頃、ぼくら子どもたちはそこに集まって、
特に夏休みなんかはいっつもそこで。
なけなしのお小遣いを子どもなりに考えながら
スナック菓子やら、ガムやら、アイスやらを買っていた。
ぼくはと言えば、お小遣いをもらっていなかったけども
お小遣いのある友人たちと遊んでいると、行かざるを得なかったから
買うこともないのに、アイスのケースを無駄に覗き込んでいたりした。
それでも
たまに豪族みたいに金のある子がいたから、
ぼくはその子にあれやこれやうまいことを言っておごってもらっていた。
駄菓子屋のおばちゃんは子どもたちの事情は大体把握していて
やれ、どの子とどの子が仲が悪いだの
やれ、どの子が先生にしょっぴかれただの
何でも知っていた。
あのとき、ぼくらの中心地は間違いなくここで
放課後は、とりあえず、ここから始まった。
ここではここの、ルールがあって、強いやつがいて。
子どもには子どもの、政治があって。
ぼくが中学校に上がる頃くらいには、その駄菓子屋は店じまいをしているようで
空っぽになったその店がなんだか寂しく感じた。
大学生に入ってから、ぼくは
仙台という都市に学生が集まって話せる場所をつくるようになるのだけれど、
先日、ふとこの駄菓子屋の前を通り過ぎてあの頃を思い出すと
「ああ、結局あのときのあの場所があたまの中にあったのかもなあ」
と思い出したりして。
今の子どもたちはどこに集まるんだろう。
そんなことを思ったりした。
「今の子どもは外で遊ばないよね」
そんなことはきっとない。
今もまだ、どこかで子どもは子どもなりの遊びを行っている。
そして、それは「遊び」なんていう生やさしい言葉ではなく
子どもなりの「政治」なんだと思う。
抜け殻になったあのときのぼくらの政治の中心地を見ながら
夏の真っ盛りを感じている。
人生を、かっぽしよう
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