目標が何もないときこそ。飽きっぽい僕の「静かな革命」を起こす考え方
ふと、思ったのだけど
毎年毎年、6月が終わると、
ひとつ大きなイベントやら目標やらが終わって、
ちょっとした抜け殻状態になるわけですよ。
なんでかな、ぼくだけかな。
頭の中は
脳内お祭り状態から一変、木の葉のささやくような音が聞こえる、
そんな状態で。
抱えていることがたくさんあったときは
やりたいことが何やらあっちにもこっちにもあり
「これが終わったら、やってやる!」
と思っているのだけど
いざそれが終わってみると大したものには思えなくて
いくら時間があっても、あんなにやりたかったはずのことをやろうとはしない。
「目標を立てよう」
「これからどうしていきたいの?」
「三ヶ月後の自分は?」
そんな前向きな言葉はかえって自分のジャマをして、目の前をよぎるたびに
「はいはい、また今度ね、ばいばーい」
と言ってしまう。
ただ、こういう心持ちのとき
ぼくがひとつだけ注意していることがあって。
それは
何もやりたいことがないから、とか、前向きな言葉が見つからないから
と言って、現在を後ろ向きに思って否定しないということ。
具体的に言うと
仕事をやめたり、
大学をやめたり(一度休学か退学を考えたのだけども結局通い続けた。それはまた後日書きます)、
目標をとりやめたり
そういうこと。
たとえば、このブログひとつとってもそうで。
自分なりに立てたアクセス数の目標だとか記事更新の目標だとか
そういうものを達成したとして、
なんとなく踏ん張る何かのない毎日になったとしても
書くことを止めようとは絶対に考えないようにしている。
もしも自分が線香花火だったとしたなら
盛りの終わった線香花火のようになったとしても
「自分盛ってないから、落ちるか」
とは考えないようにしているわけで。
「とりあえず落ちるそのときまでは、燃えるか」と。
なんでこんな風に考えるかっていうと
やめるというのは、もう少しエネルギーがあるときにすべきことだ
と思うから。
ぼくの経験上だけども
何かをやめて失敗する時っていうのは、だいたいエネルギーがない。
こころの中や頭の中は静かな状態になっている。
こういうときにやめることで
何かを得たという感覚がない。
逆に言うと、やめて正解のときは
「やめよう!やめてもっとこういうことを得よう」
ということを思うとき。そのときは、やめることにしている。
今までの経験で一番後悔なく何かをやめた経験っていうのは
時給1200円のバイトを初日にやめたときくらいかなと。
何もないときというのは、ネガティブなことではないのだと思う。
こころの中が文字通り「閑散」とするときがあっても
それはそれで、次の何かが生まれる「静かな革命」なのだと思うようにしているのです。
だから、どんなに外から見ていてつまらない状態でも
ただ淡々と、日々をこなしていけば、
まあそのうち淡々と続けたからこそ
「あっ」と見つかるんだと思います。
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