春になったら別れようと思うの。区切りをつけて
「どうするの? それで」という言葉が聞こえてくる。
仙台市の国分町前の横断歩道。
信号で待っていると、これから飲みに行くらしいちょっと会社帰りのややフォーマルな格好をした女性が2人で話をしている。
「うーん、別れる。まあ、前々から考えてて、こうなったらって区切りつけて別れようって」
正式に辞令が降りそう。で、仙台を離れることになった、と。
だから今の彼氏とは別れる、と。
横断歩道をてくてくと、彼女らが先へと歩いてく。
つい先日また別の場所で大学生女性が同じような話をしていたのを思い出す。
遠距離になったら無理って思うからね、付き合っても3月までかなぁって思ってた。
およそ別れる話題についての話をしているとも思えないような明るさで話をしていた。
彼女の中で淡々と何かが終わって、始まりへ向かう。
その一方で、
今後5年も10年も先のことを考えて、楽しくなったりモヤモヤしたり嘆いたりする人がいる。
恋人がもうすでに別れを決めていて、いつ言おうか、いつまで付き合おうか、ということにカラッとした気持ちでいるのにもかかわらず。
この時期、そういう会話を聞くと無性に切なくなる。
どうか、それはお互いの気持ちでありますようにと。
そうでなければ、あるだろうなぁ。一悶着(もんちゃく)
けど、人生は続く。
その瞬間その人しかいない、と思っても、春になって陽気に花見をしているとまた新しい出会いがあったりする。
そんなもんだ。
前向こう。前。
4月が出会いと始まりの時期で
3月は別れの時期なら
2月は見切りをつける時期。
そうやって、なかなか踏ん切れないうっすらモヤモヤした気持ちを、えい、と春にまかせて区切ってく。
春のせいにしていく。
ぜんぶ春のせいだ。
この仙台というまちは、全国から転勤族やら学生が進学にやってくる。
3月から4月にかけて5,000人以上が入ってきて、そして出ていく。
はじめまして。
さようなら。
お元気で。
笑いあって行き交うカップルのそのうちどれくらいが、今まさに頭の中に見切りがあるのだろう、なんて考えると途端に悲しくなり、けれど当の本人はだからこそ今が楽しいのだろうな、と思う。
恋愛に賞味期限などあるのかどうかは分からないけれど。
終わりあると分かっているものが今まさにそこにある、ということは恐ろしいほどにキラキラするというのは、ひとつの事実だったりする。
せつなし。
せつなし。
せつねええ。
助けて4月。
人生をかっぽしよう