期待?しませんよ、自分になんて
昨日はできたと思ったことが、今日はてんでできないということは多かったりする。
つい昨日は早起きできたのに、今日になってみると全然早起きできなくて、なかなかに布団から出ることができなくて、ついつい9時まで寝てしまったとか、10時まで寝てしまったとか、そんな毎日。
昨日は5分前に行動できていたのに、今日は遅刻してしまったとか、あるいは予定をまるまるど忘れしていたとか、そんな毎日。
ぎゅっぎゅっと灯油缶に灯油をポンプで入れながら「今日は起きれなかったなあ、今日の予定、ちょっと予定組み替えないとなあ」と思う。
「どうしてできないんだ」
そんな言葉を突きつけるとき、じぶんの身体を、いつの間にか機械のように勘違いしてしまっているじぶんがそこにはいる。
思えば、小中高とどちらかというと「優秀側」に置かれ続け、じぶんもそうありたい、そうあるはずだと思っていたじぶん。
だからこそ昨日できていたことが今日できないとずいぶんと腹が立ち、そこから罪悪感、苛立ち、憂うつ、どん詰まりへと向かう。
「俺は、絶対落ち込まないのよ。落ち込む人っていうのは、自分のこと過大評価しすぎやねん。
過大評価しているからうまくいかなくて落ち込むのよ。人間なんて、今日できたこと・やったことがすべてやねん」
ということを明石家さんまが語っていたのを読んで、なるほどなあと思ったことがある。
人間なんて大して優秀にできていないんじゃないか。
となんとなく思っていたときにこのさんまさんの言葉に出会い、すっきりした。
期待という、未来はこうなってるから今はかくあるべしとか、まだ来てもいないことでじぶんを測っても、意味もわからずイライラするだけ。
そうだ、今日やったこととできたことで全部、それで良し、だろ。
って思った。
今日は気分が悪い。
今日は元気だ。
今日はやたら喋る。
じぶんってのはけっこう繊細にできていて、そのときそのときでいろんなことが影響して日によってどんどん変化する。
当たり前にできると思っていたことが、突然できなくなるような不具合の多いのが人間だと思うと、気が楽になってくるし、
今日のじぶんは昨日からさらに進化・成長しているじぶんのはずだという考えを捨てて、今日のじぶんは今日のじぶんだ、と思うとスッと楽になる。
「確固たるじぶん」なんてものは理想にすぎないんだと思うし、積み木でも積み上げるように毎日淡々と成長していくじぶんなんてものも理想や幻想にすぎないんだと思う。
人間はそれほど優秀ではないのだと思う。
昨日できたことができなくなるし、
3日続いたことが続かなくなったり、
数年間できていたことができなくなったりする。
なのに、
じぶんも他人もそうあるはずだしそうあるべきだ、なんて考えるとそうではないギャップで苦しくなって窒息する。
けど、だからって「結局ダメだ、じぶんなんて」と泣き寝入りするんじゃなくて
人間をもうちょっと気まぐれで繊細で不細工なのだと考えてみる。
そうすると、「あちゃー」「しゃあねえな」「まったく困ったもんだ」
と思うことができて
じゃあ今現在こういうじぶんだとして、どうするかというところから考えられる。
毎日毎日100点満点を取ることはできないのだから。
それなりに自分はダメな人間なんだろうなと想定して、けれどもそのときのじぶんでやってみるか、どっこらしょと腰をあげる人。
こういう人のことを「前向きな人」というのだと思う。し、ぼくはこうありたいと思う。
「できるはず」と思ってできないじぶんにぶつかると、「どうしてできない」「ダメなじぶんだ」と過去にずっとイライラして、未来はどんどん過去に侵食されていく。そして気づけば今日は変わりようのない過去にずっぽりと時間を取られて、また途方もなくなって終わっていく。
なんだかそれって残念賞だなあって思う。
そういうことは一切抜きで、今日は今日のじぶんに耳を傾けてみて、「今日はどんなもんでしょう、じぶん」と耳を傾けてみる。
で、良けりゃ良いだし、悪けりゃ悪いだし、
大切なことは、そのじぶんで今日はどうやるかということだと思う。
まあ、ダメなときはちょっとだけ、ぺちゃんと潰れますけどね私。
そういうときは甘いものをくれると喜びます私。
人生をかっぽしよう