ねえ、春の孤独ってどうしたらいいの
休日の午後に、地元から仙台の電車に乗り込む。微糖の缶コーヒーを持って。
すっかすかの電車。窓際の席に座る。
最近図書館で借りた読み応えのありそうな本を開く。
たぶん、コムズカシイ。
その瞬間に思い出す。ぐるんとした感覚で、二浪目が終わった春のバスを思い出した。
二浪目の春に、やっとぼくの受験という闘いは終わった。
合格も決まり、いつもは6時台のバスに乗っていたぼくも、
その日は午後1時ころのバスにゆったり乗る。
いつも助手席までいっぱいのバスも、その時間は運転手とぼくしかいない。
いつもは勉強がだれた時の気付薬のように飲んでいた微糖の缶コーヒーを開けて、
後ろから2,3列目に座り込み、小説を開く。
村上春樹のアフターダーク。
たぶん、コムズカシイ。
寝たかったら、寝てもいい。
もう追われないんだなあと、思った。
いつも追われていた。
一瞬でも気をぬくと、周りの受験生に抜かれていくんじゃないかと思っていた。
休符のない楽譜みたいな感じで、どこかに気をそらすと罪悪感が肩辺りから「おいおい」と言ってくる。
よく、持ったなあと思う。
それも、終わったんだ、と思った。
そして
ここからどんな時間の使い方が、待っているんだろうと、思った。
嬉しいはずなのに、不安とも言えないような、すっからかんの気持ちになった。
春の陽気が悲しいほどにすっからかんに感じた。
大学に入って追われる感覚がなくなった。
隣の学生と、ぼくが同じところを目指して競争することもない。
君は君で走れよ。ぼくはぼくで走るよ、と。
そりゃ期末試験とかはあるけれど、あの、受験のような、長くお互いに死に物狂いで目が血走りそうな経験とは、まるで違う。
だから、自分で目標を立てないといけなくなった。
「未来の自分」という、いわば追いかけるべき他人を作って、プレッシャーをかける。
そんなことが必要になった。
けど、未来の自分は先へ先へと立ち続けるので、横にいてくれるような存在の、嫉妬を投げかけたり、勝ってやると牙をむいたり、そういう感覚は持てない。
そしてその感覚があったから、ぼくは模試で全国上位取れたり、志望校合格できたのだよなあと改めて、思う。
今は、何かに嫉妬したり牙をむいたりできないでいる。
そんなことしなくても、淡々と、たんたんと日々やるべきことに向き合えたらいいのになあと。
春は、孤独になる。
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