散歩は生産を呼ぶ(前編)
散歩は生産を呼ぶ(前編)
僕はよく意識的に散歩に出かけます。
自転車があるのにわざと徒歩で目的地まで向かうこともあります。
散歩をするのには理由があります。
健康のため、というわけではありません。
たそがれたいという気持ちは……若干あります。
僕が散歩、つまり歩く時間を大事にする理由は、頭の中から何かを生む時間を大事にしたいからです。
たいそうなことに聞こえますけども、たとえばこのブログ記事を書くためにも、構想をはっきり描くことも、何かを生むことです。要するに、人の話を聞いたり、何かを暗記したりするのではなくて、頭の中に入れたことをもとに、自分なりの意見を作るということです。
僕は、何かを考えたいのだけれど、頭の中でいろんなことが複雑に絡んで具合が悪いときには決まって散歩に出かけます。
30分でも1時間でも、考えがある程度の形になるまでは散歩をします。
それが僕なりの生産方法の一つです。
どうして生産するのに散歩か。
それは、自分を外という「見るべきもの」が無い場所に連れていくためです。
今や、家の中には、情報が溢れすぎています。
テレビから、パソコンから、本から、ゲームから、一人暮らしでなければ家族もいる。それ以外にも、たくさんの見るべきものがあります。
散歩なんかしないで、家で座って考えろよと怒る人がいるかもしれませんが、怒らないでください。
こういう見るべきものがたくさんある環境では、集中はできません。少なくとも僕は。
それらが楽しく、また有意義でもあるので、ついつい気を取られると、あっと言う間に時間をとられてしまいます。
どこかの場所に行けば、何か見なければいけないものって必ずあってしまうんですよね。家だったり、学校だったり、職場だったり……。
そんなことが理由で、僕は家にいると全く生産できません。頭の中に入れてばかりです。
だから、外に出るのです。見るべきものが無い、外に。
そうすると、退屈になります。
しかし、それが大事なところです。
後編では、なぜ退屈が生産につながるのかという話を展開します。