本当に悩んでいる人には「分かる」という共感は凶器になるかもしれない
悩んでいる人に「分かる」と言って助けたくなる。
けど、相手が本当にどん底まで悩んでいるとき、
「分かる」という言葉が苦しめていることを知りました。
「分かってないですよね」
ある女性に言われたその言葉が、しこりになってぼくに残ります。
そして本当に悩んでいることは、むしろ
「分かるわけない」「分かってくれるな」とさえ思っているのだと知ったのです。
ぼく「分かるよ」女性「分かってないですよね」
ぼくが「分かる」と言って相手を怒らせたときのこと。
「共感」ということを言葉で習っていたぼくは、
相手に対して「分かりますよ」と
寄り添うことが大事だということを
言葉で学びました。
相手の立場になって考える。
それを言葉で示す。
「分かります」
だから、目の前のひとが悩んでいるとき、
ちょっと機械的に「分かりますよ」と言っていました。
その言葉を相手は嬉しく受け取ってくれているものだと思っていました。
そしてもはや意識せず相手が悩んでいると
「分かる」
と口をついて出ていたある日のこと。
悩みをぼくに吐き出していた女性に
「分かるなあ」「うん、分かるよ」
と連呼していたぼく。
「本当に分かっているんですか?」
しばらくだまっていた女性がそう言う。
「分かってないですよね」
と。
もうそこから話題は変わって、彼女は一切、ぼくにその悩みを話さなくなりました。
ぼくはぼくなりに、必死に理解しようとしていたので
そう言われたことはすごく悲しく
「分かってないですよね」という言葉は、
しこりのように残りました。
しかしその後、自分が強く悩んだこともあり
周りから
「分かります」「自分もそれ悩んだから分かる」
と言われようになりました。
そして経験を通して、
あのとき彼女が言わんとしていたことが
やっと自分ごとになった気がしました。
それはつまり、
自分が心底悩んでいることは、この世の中で誰も分かるはずがない、むしろ分かってくれるな
という感覚でした。
「分かる」と言われたいとき 言われたくないとき
「分かる」が良いほうに働くときもあります。
話している本人が他愛ないことを話しているとき
「分かる」という共感はむしろ良いほうに働くんです。
「あなたの経験と同じことを私もしたよ。おんなじだね」
と伝えてあげると、
「ああ、この人は私と同じ部分を持った人なんだなあ」
と安心する。
「ラポール形成」なんて言ったりもするけど。
共感は人を結びつけ、仲間意識を呼び、親しくさせます。
孤独をなくします。
他の人が「あるあるネタ」を話したら共感された方が心地よいですよね。
ぼくも飲み会でこういうことを言ったときは
「分かる」と言ってもらった方が嬉しいし、楽しい。
けど、一方で、
「分かる」と理解や共感を示す言葉を言われたくないときとは。
それは、
自分が心底悩んでいるとき
です。
心底悩んでいることは、大小で測れません。
例えば、石ころにつまづいて転んでしまったことは
人によっては笑い話になるのですが
人によっては立ち直るのが難しいことでもあります。
そしてこれは実際にぼくが死にたくなるほど悩んだことでもあります。
たかが、石ころなのに、です。
要は、その悩みの大小は本人の感覚で他人が決められません。
そういう他人が測れない、本人にとって心底悩んでいる問題に関しては
いつもの笑い話などとは逆に
「分かる」
とたとえ本気で言われていても
「分かるわけない」
「分かってたまるか」
という感覚になるのです。
なぜ「分かる」と言われたくないのか
心底悩んでいる問題には、「唯一自分だけが悩んでいる」という「自尊心」のようなものがあります。
「分かる」という言葉をぼくが言われたとき
ぼくの頭の中では意味がどんどん変わって
「分かる」
↓
「私と同じ経験だ」
↓
「私の経験と大して変わらない」
↓
「そんなのはとっくに私は解決済み」
というふうに
自分の頭の中でどんどん悪いほうへと意味を変えます。
「今こんなに悩んでいる問題、
そんなに軽々しく『分かった』なんて言うなよ」
と思う。
手を差し伸ばして欲しいけど
軽々しく理解した気にならないで欲しいと思ってしまう。
その問題は自分を苦しめているし、
その問題から早く解放されたいけど
自分が一番この問題について悩んで苦しんでいるんだ、という感覚。
ぼくは、その言葉が嬉しかった
「分かる」と言っている人が
「大したことない」という気持ちで言っているわけではないことは
もちろん分かっているつもりです。
けど、やはり傷つくのです。
じゃあ、どんな言葉をかけるのか。
ぼく個人の話で言えば、救われた言葉があります。
それは
「分かりたい」
という言葉でした。
「どんなに頑張ってもあなたにはなれないけど
あなたの気持ちを本気で、分かりたいんだ」
と伝えられたとき。
なんとも言えない感情が広がって
泣きじゃくった記憶があります。
それは
何とか近づいてこようとする相手が感じられて
なんだかすっと手を差し伸ばされたようで
救われたからだと思います。
あなたの悩みに近づきたいという気持ち。
あなたの悩みをひとつの悩みをとして尊重する気持ち。
思いを形にしようとした言葉なのに
それが相手を傷つけてしまうなら
言葉なんて、なんと無力だろうと思うけど
それでもまた、言葉に救われる自分もいたりする。
ブクマ(コメント)いただけると嬉しいです
関連する記事
うつ病にぼくがなった話と、向き合い打ち克つ上で大事だったこと - 人生かっぽ — 佐藤大地のブログ
アドバイスして嫌がられる前に「感情120%モード」になってみたら - 人生かっぽ — 佐藤大地のブログ
求めてたのは、アドバイスなんかじゃないよ - 人生かっぽ — 佐藤大地のブログ
書いた人のTwitter見てみる
Follow @daichisato88
Facebookフォローで情報受け取る方はこちら↓