「最低」と言われる付き合い方をしているときがあった。
あっちの女子ともこっちの女子とも関係を持っているとき。
いや正しく言えばあっちもこっちもそっちもあったとき。
三股でもなく
浮気とは違う、ちょっと特殊な形態。
お互いが了解済み。
それでも良いよね?
それでもいいよ。
という合意のもとで成り立つ関係。
今はこういうことはやっていない。
(いや、浮気については治ってないのかもしれないけど、それはここでは置いておく)
あることをきっかけに、ぼくはそれをやめる決意をします。
それが
「嫌われるのが嫌なんだよね?」
という言葉だった。
3 Brown Boiled Chicken Eggs / epSos.de
「好きだって言わなければ、
断られたりフラれるって可能性なくていいし。
ダメだったら、他に移ればいいもんね。
つまりそういうことでしょ」
調子乗って自分の武勇伝のように
自分なりの付き合い方について喋っていた自分の頭に風穴があく。
「別に悪いことだとは思わないよ。
人の恋愛観に言えるほど偉くないし。
けど、そういう自分が傷つかないように
キレイごととか屁理屈で
保険かける人間なんだ
って私なら判断する」
はっきり言われてムッとした。
あんたに何がわかるんだと思った。
けど、たぶんぼく以上に
わかっていたのはあっちのほうで。
断った相手から嫌われるのが嫌
何かを断るということは勇気がいる。
それは人の気持ちでも同じこと。
あのときの自分は
傷つくのが、怖かったんだろうと思います。
だれか1人に決めたら、
それ以外の好きになってくれる人から向けられた気持ちは
自分からそらすしかない。
バイバイと言わないといけないかもしれない。
それっきりそっぽを向かれるかもしれない。
けど、なあなあにしておけば
相手も自分も傷つかない。
つまり八方美人。
「ごめんね、自分にはこの人がいるから」
と言ったら離れていくことの数ばかりを見て
傷つくのを嫌がってしまう。
本当に大切にしたい人がいるなら
まずはその人を見るべきで
周りばかり気にするから
結局大事な人のことなんて優先して考えてあげられていない。
本気で向き合ったひとりに受け止められないのが嫌
そして
自分が本気で向き合った相手に
もしも自分の気持ちを受け止めてもらえないということは
ひどく傷つく。
周りの人の気持ちに
「この人がいるから」
と断って目の前のひとりに全力投球したとして。
自分が受け止めてほしいと思って
本気で投げたボールが受け止めてもらえなかったら
期待している分、すごくガッカリする。
だから、そのガッカリに保険をかけて
誰かひとりにしていないというのもあります。
こっちの人うまいようにコミュニケーションを取れないとしても
あっちの人にそのストレスを逃げ込ませればいいや。
そういう「逃げ道」も必要ではあるのだけど
誰かと向き合うことを逃げている意味では
根本的には何も変わっていない。
都合の良いときだけ都合のいい人に乗り換えて
相手のことなんて、これっぽっちも見ていない。
人を好きになったり愛しているようで全くのエゴイスト。
「可能性ある存在」ってのは希望にあふれてる。
それは以前も書きました。
「やりたいことをやりたいようにやろう」と考えるから、人生は苦しくなる。 - 人生かっぽ — 佐藤大地のブログ
何をやってもうまくいきそうに見える。
けど、それは「そう見える」だけ。
「実際にそうである」かは分からない。
結局、可能性ある存在であり続けるということは、
現実と向き合っていないということ。
何かに本気になったとき、失敗するのが怖いだけ。
本気でぶつかるのは怖い。
けど、その怖ささえ背負って、
その人と向き合うということ。
そばにいるということ。
誰かと向き合うというのはそういうこと。
誰かを好きになったり愛していくということはそういうこと。
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