卵を落とした。
何年ぶりに落としたんだろうか。
そういや、卵って
なんか落とさないように落とさないように、
割らないように割らないようにって生活しているけど、
ぜんぜん割ったことないな。
冷蔵庫をあけたときに、ひじで卵にぶつかってしまって、
あ、
と思ったら
かちゃ、
という、まあたいして大ごと感もない音だけがして
あーあ、
という独り言だけが部屋に鳴った。
なんなんだろうね、
別に金額的におっきいことでもないけどさ、
あの遊園地で買ってもらった3段重ねのアイスクリームを買った瞬間に落としちゃった感じの悲しみといいなんといい、
なんなんだろうね、
あのちょっとした悲壮感。
たまらんよね。
なんていうか、あの、これから広がるだろう満足感が、準備もしない一瞬のうちに奪い去られてしまった感覚?
こたえるものがあるよね。
とかなんとか思いながら、
ひとりさびしく割れた卵を片付けていたら、
思い出したことがあって。
彼女の笑顔と言葉。
あれは調理実習だったかな、なんかのイベントの準備だったかな、中学校のときに
同じように卵を割っちゃったときがあったのだけど、
たぶん同じように悲壮感にかられながら卵の前で立ち尽くしてた。
同じ班の男どもは落としたぼくに対して冷やかしらなんやらでやいのやいの言い始め、
プライドの高いぼくは噴き出しそうになる感情でいっぱいで。
そんな感情をおさえながらぼくが床を拭き始めたときのこと。
そばから布巾を持った手が伸びてきて。
それは別の班の女の子だったのだけど、
ぼくの横で床をふきながら
残りの卵はだいじょうぶ?
一個で良かったね。
とか言いながら、
拭き終わるころに
「けど床掃除も一緒にできて良かったね。
ほら、こんな汚れてる」
って笑いながら拭いた布巾についた黒い汚れを見せてきた。
ぼくの頭の中には
そのときの女の子の顔が、強烈に焼きついていて
「床掃除も一緒にできて良かったね」
という言葉が、他愛もない言葉なのに、どうしてだか変なくらい胸の中にあったかいものを残した。
それが、今まさに卵を割った瞬間にフラッシュバックして、あったかいものが蘇った。
いやはや
記憶ってすごい。
感覚ってすごい。
中学生のころのぼくはおそらく、あの言葉がどうしてぼくをそんなにあったかい気持ちにしたのかどうかってのはわからなかったけれども、
今ならわかる。
「卵を落としてしまった」
という悪いことばかり目の前に広がっていたぼくに
「掃除もできて良かった」
と良い方向に目を向けさせてくれることで
悪いことばかりじゃない。
いいこともあるんだ。
と考えさせてくれたのが、彼女の魔法の言葉だった。
人生で大なり小なり途方にくれるときは、割れた卵を目の前にしたようなときが多い気がする。
けど、そのときにあの時の布巾を持った彼女のような存在があるのは大切なことだと思う。
大切なものをなくしてしまったときは
買い換えるタイミングを得たとか、
愛した土地を離れなくてはいけないときは
きっと新しい出会いが待っているとか、
大きな失敗をしてしまったときは
同じような失敗をした人に優しくなれるとか。
悪くしか見えないものでも
少しだけ未来へ動き出してみれば良かったなということが見えてくる。
そうやってぼくら人間は、理不尽な不幸が目の前にやってきても一歩進むことができるんだろうと思う。
あの女の子。
ぼくはしばらく好きだった。
これまで生きてきた中で好きになった人もそういう人が多い気がする。
あの子、どうしてんのかな。
と、床を拭きながら久しぶりにあの子を思い出す。
きっと、楽しく毎日を過ごしてそうな気がする。
人生を、かっぽしよう。