人脈?それが?ほんと?人脈あるつもりの僕に足りなかったのは「2度目まして」でした
「人脈、結構広がったんっすよー」
と言って、ぼくはその先輩にFacebookの友だち数を見せて自慢する。
人脈が、あったつもりでいたんです。
が、
先輩はそれを見て
「『二度目まして』が大事だよね」
と言いました。
ぼくはその言葉で人脈について考えさせられます。
The Bar inside Bosc de les fades / Oh-Barcelona.com
人脈?それが?ほんとに?
facebook-mobile-app-640x340 / melenita2012
その日、ぼくは
Facebookで友達が300人を超えた、と喜んでいました。
すげえだろ、と自分としては喜び勇んで自慢していたわけです。
その画面をしばらく先輩は見ていると、
「これってさー」と言って、先輩がぼくの友人数をスクロールする。
「この人たちそれぞれのこと、どれくらい知ってんのー?」
と質問する。
「んーいや。一回会った人が多いんで」
と言うと
「『初めまして』より『二度目まして』だと思うんだよね、人って」
「二度目まして、ですか?」
「そう、二回以上会ってなんぼだと思うんだよね。
一回会っただけなんて、その人のこと大して分かんないしさ、
しかも勘違いしてたりなんかしているしさ、
大事なのは一回目でふわっと好感触の人と、
どうやったら二回目以降に会えるか、とか、
二回目以降会ったときに何を言うか、だと思うんだなー」
たしかに。
二度目まして。
偶然は必然にしてこそ
Shibuya Crossing at Night / Dick Thomas Johnson
言われてみると、ぼくはその並んだ顔写真以外のことをほとんど知らないし
数が集まって喜んではいるものの、
じゃあなんだ? 少なくとも飲みには行ったか?と言われると、そうでもない。
要するに、顔写真だけ並んだ「友達コレクション」をひとりで勝手に楽しんでいただけで。
「『初めまして』って、交差点でぶつかることと、それほど変わらない」
と、先輩の言葉がよみがえる。
初めまして。
出会ったことは、素晴らしいけど、偶然ではある。
「だから、偶然じゃなくしたいし、
そうしてもう一度会った時に初めて、
その人との関係じゃないと生まれないものができるわけでしょ」
そう言えば合コンでも、
モテる人を見てると、必ず2回目会うきっかけをつかんでいた。
この人面白いなと思ったら、その場を楽しみながらも、
後の時間はこの人とどこ行きたいかな、と思って次に会うために興味を聞いたり、
布石作りをするんだそうな。
可愛いなで終わらせない、と言っていました。
たまたま会ったという偶然を、
次は会いたい、会ったらあなたとこんな話をしたいという必然にしていく。
それが「関係」を形作っていく。
「二度目まして」がやりやすい時代に生きている
ウインナーコーヒー / Richard, enjoy my life!
SNSが普及した今「二度目まして」がとてもやりやすくなったと思います。
と言うのは、聞いてもいないけど自分の興味やら生活やらが流れてくるから。
それを「どうでもいい」と見ずに、
「へえ、こういうこと興味あるんだ」と思えば、
次その人とは他の誰との関係でもできないことができたりする。
「この前、こういうこと投稿してたよね」と。
ぼくも、人からうらやましがられる体験や立場を与えていただいたりしているけど、
それはやっばり、まずはあのときの先輩の言葉から「二度目まして」があってなんぼと思っているし
そこから他人に興味を持つようになったから。
*
「初めまして」から、「二度目まして」。
それが人の脈を強く強くしていくんでしょうね。
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