あなたのやる気 劇的に弱めてみせよう。「何もしてないよな、おまえ」の叱咤激励はどうして人を弱めるのか
「自分なんか何もしてない」
「お前なんもしてないよな」
結果が出ないときに「自分なんか何もしていない」と
ぼくはよく使っていたし
ぼくが生徒を教えていたときにも
よく生徒が使う言葉でもあるんですね、これが。
あるいは結果が出ない他人に対して
「お前何したんだ? 何もしてないよな」
と言ってしまう。そういう上司をぼくは見てきました。
こういう言葉を投げかけられると
みるみる人は動かなくなります。
「自分なんか何もしてない」
「お前なんもしてないよな」
本人は叱咤激励のつもりなのかもしれないkど
結果としていっこうに行動しないし
むしろ前よりおとなしくなるのです。
どうしてかいなと
考えた末に気づいたことは
行動と結果を一緒に考えてしまうと
みるみる行動をしなくなる自分がいる。
ということでした。
どういうことかと言うと
悪い結果を見て「結局何もしていない」と言うのは
行動と結果を一緒にしてしまっているということです。
だって結果が悪かろうと自分は何か行動はしているわけで
その手段がうまく結果に結びつかなかっただけです。
何もしてないわけじゃないですよね。
「何もしていない」じゃなくて
「何かはした」
その上で
「今は結果が出ていない」
という解釈が一番正しいっすよね。
それを一緒くたにしてしまってるんです。
だから、結果を見て「何もしていないよな」と言ってしまうと
次回からは
「結果を確実に伴う行動しかやるに値しない」
「正解になる答えしか書かない」
と考えて身体が動かなくなります。
ぼくの生徒も失敗をおそれて答案用紙に何も書かなくなります。
たとえそれが部分点を取れる解答でも。
そういう風になってくると自暴自棄になって
「ありとあらゆることはしたのですが結果でませんでした」
と自分や他人に嘘をつき始めちゃう自分が出てくる。
これ、以前出した話じゃないでしょうか?
そうですね、ここです。
全然上手くいかないと嘆くけど 「結局あなたは何をしたんですか?」 - 人生かっぽ — 佐藤大地のブログ
失敗を許容してあげる
行動と結果は別物という考え
これは行動科学の分野でもよく言われることです。
どれくらい行動したかをまず評価。
内容はその先にあるもの。
最重要じゃない。
内容を評価の中心においてしまうと
挑戦する数はめきめき減ります。
勉強であれば、正解不正解ではなくて
とにかく解答欄に何かを書かなければ始まらないと考えます。
書かなければそもそも正解か不正解かすら分からず何も動かなくなっちゃう。
大丈夫、動き続ければいつかは、当たるんです。
仕事であれば営業の電話をかける際に
アポを取れるかどうかという結果と
候補リストに電話をかける行動を別に考える。
かけなければそもそも取れるかどうかすら分からないんで。
結果が出ていないときに
「どうして成績が出ていないんだ」とは叱らない。
「これとこれはやってみた。そこまではやったぞ自分
けどまだ結果は出ていない。あと何ができる?」
とする。
自分や自分の周りで挑戦やがむしゃらでも行動する人が減っているならば
それは「何もしてないよな、おまえ」状態になっているかもしれません。
大丈夫、動き続ければ、いつかは当たる。
大事なのは何をしたのかを見つめ、これから何をするか。
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