人生かっぽ

人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

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挑戦・達成ができるようになる日

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次の問題を解いてみてください。
偏差値70の大学の入試問題。

《問題》
244,555,311をかけ算の式で表しなさい。
ただし、かけ算を構成するそれぞれの数はそれ以上割り切れない数とする。












では答え合わせ。



答え 3×7×11×13×31×37×71



最初に種明かしをすると
これが入試問題であると言うのは嘘。
僕が勝手に作った問題。

解き方は簡単で
色んな数で実際に割れるかどうか試せば良い。

ただし
それぞれの数が2とか3とか
すぐに試して出てくる数ではないので
それで諦めた人も多いと思う。


けど
「割り切れる・割り切れない」という考えが分かれば解ける問題だから
小学生でも解ける。




やらない人の中にも色々いると思う。

ちょっとでも取り組もうと思ったけどできなかった人の中に
こんな人がいたんじゃないでしょうか。


・偏差値が高い大学の問題か。自分には無理だな。
・うわあ、大きな数だな。何か簡単な方法がないかな?ないな、無理だ。
・偏差値が高い大学の問題なら、何かウマい方法があるはず。思いつかない。無理。



この問題を解けた人と解けない人の違い。

その違いは
何かを達成する人と達成しない人の違い
何かに挑戦する人と挑戦しない人の違い
にも通じているのだと思う。





できたぁぁ!




自習室でその日
僕は舞い上がった。

二浪目にして
初めて大学入試の数学の問題を1問解ききることができた。

叫びたい衝動が訪れたが
自習室の静けさの中で
溢れそうな気持ちをガッツポーズで表した。


それまで
僕は志望校こそ難関国公立に設定していたものの
からっきし数学は劣等生だった。


判定はもちろんE判定


数学の問題を目にした瞬間ノイローゼ。

センター試験でさえ
僕と同じ志望校の人は
平気で8割解ける問題を
僕は6割程度しか解けない。

そんな状態での二浪目スタートだった。


けれどもあの日
僕に変化の一瞬が訪れた。

そんな数学劣等生の自分が
難関大学の数学入試問題を完全に解いた。


これを境に
今までが嘘だったかのように
数学の問題を解くことができるようになった。

何より解くことが楽しくなった。

多少問題を見て「ん?」と首をひねる時はあったけれども
それでも「絶対解いてやる!」という気持ちになった。

そして最後の大学別の模擬試験
僕は数学で全国ランキング1ケタになり
総合点でも全国ランキング1ケタになった。


二浪目が始まりたての
春の僕の姿とは完全に違った。

数学劣等生だったんです。
と言った所で誰も信じてくれないと思う。


けど、本当にこれは真実だ。

だから、できない人の気持ちも理解できる。



一体にして何が
あの時の「できた!」という一瞬をもたらしたのか?



それは




「この問題、君らだったら今まで習ったことでぜぇぇっっったいできるからな!」






という講師の強い言葉だった。

僕は数学はできなかったけど
その講師はすごい好きだったから



絶対出来るはずなんだ。



そう思ってあの日
講師が与えてくれた課題を目の前にして
自習室の席に座った。


そしたら

できた。


そんなもんだった。



その後
僕もスタッフとして予備校で働き
生徒を相手にするようになったり
仕事で後輩を指導する立場になった。

そのときに2種類の人間を見た。


ひとつは

ほっといても
つまづいても

勝手に起きあがって
どんどん挑戦していく人間。

こういう人間には
重めの課題を課してちょっとほったらかしても
大丈夫だったりする。



もうひとつは

ちょっとつまづいて
「できません」

挙句の果てに
「もうやめます」

と言う人間。

こういう人間は
逐一「調子どう?」
とサポートを入れる必要がある。



この違いは何だろう?
と思い悩んでいて、はっと気付いた。


それは




自分に成功するイメージがあり
できはずだと信じていること




これだ。




吹奏楽部で成績も平凡な中学校の部長になり
見事に全国レベルで優秀な賞を得た人間が後輩にいた。



その子は全然違う仕事の分野でも
挑戦をどんどんしていった。


その原因は
かつての部活で誰も成功なんて見せくれない状況で
成功を掴み取った経験があり
イメージがあるからだと思う。


そしてそこから
自分を信じている。


けど、そんなに立派な経験でなくても良いと思う。


僕のように
「自習室で数学の問題を解ききる」

こんな些細な経験でも
十分に成功のイメージを持つことはできる。

要は
これは!と思ったものを
何か一つ達成するという経験が大事。



何も解けない僕は
課題を目の前にした時に
すぐに近道を探した。

そして近道がないように思うと
すぐに「無理だ」とあきらめた。




解けるようになった僕は
課題を目の前にすると
考えうる選択肢をとにかく試した。


だってそれは



できるはずだから。



何も挑戦しない・達成しない人は
取り組むか、取り組まないか
という選択肢を必死に考える。


何かを挑戦し達成する人は
正解か、不正解か
という選択肢を必死に考える。

このように
何も挑戦せず達成しない人が
答えを得るための知識は自分の頭の外にあるのかもしれない
と考えるのに対して

何かを挑戦し達成する人は
答えは自分の中にある
と信じている。


そして大体答えは自分の中にある。

挑戦しない
達成しない
そんな人間こそ

誰かが達成した姿を見て

あれはああいう知識を用いているんだよ。
あれはああやったから成功したんだよ。

と自分もそんなの知っているよと
口をとんがらせる。


それは分からない問題を答え合わせして
「これ知ってたけど頭から出て来なかったんだよなぁ」
と言って自分が解けないことを反省しない受験生と同じ。




トーマス・エジソンの逸話の中でも僕がお気に入りのものがある。

彼が電球の発明をしている際
「もう一万回は失敗しているので電球の発明から手をひいてはどうか」
というアドバイスをされたのに対して


「私は失敗を一度もしていない。
一万回も
『このやり方ではうまくいかない』
という発見を得たのだから」
と答えた。


彼はその後、科学者みんなが無理だと言った
実用的白熱電球を開発することができた。


エジソンもとにかく
自分は成功できるのだと信じ

正解か不正解か
という選択肢だけを考え続けた。



スマートな解き方なんていらない。

ペンを持ち、紙に向かい合う。

向かい合った課題に対して
まずは選択肢を出す。
大丈夫、自分は十分できる。


そして書く。
自分はいったい何ができるのか。