電車のバスケ高校生が思い出させてくれたあの日のこと、Kのこと
この前、電車の中でバスケットボールを高校生が小脇に抱えていた。
見れば出身高校のジャージを着ていた。
駅の中でバスケットボールを持っていればそりゃ目立つ。
思わずぼくは彼から目を離せずにいた。
一緒の電車に乗るので、多少怪しいながらも後ろからずっと見ていた。
で、その子の友達も一緒にいたのだけど、友達と話しながらもその子はずっとバスケットボールを両の手でさすったり、手の中でぐるぐると回したりする。
懐かしい感覚になる。
ぼくも高校生のときはバスケ部に入っていた。
理由は簡単だ。『スラムダンク』を読んでしまったのだ。高校に入る前に。
バスケなんて小学生のときからやってるやつが多い。
高校になればなおさらで、その中でも本当に続けたいと思ったやつらが残るから、ぼくは少数派だった。
桜木花道になりたいと意気揚々と始めたバスケから少しずつ離れ始めたのは高校1年の中盤から。
恥の上に恥を塗り続けていく毎日が始まった。
3年生の大会が終わり本格的に練習に混ぜさせてもらうようになった。
けれど、小学生の頃からやってるひとらにとっては当たり前の練習でも、ぼくにとっては初めてだし複雑すぎてわからなかった。
「スリーメン」と言われても何が何だか、どんな練習なのか分からない。
要領がわからないからみんなが当たり前にできることができない。
ぼくが混ざっている順番だけ練習が鈍くなる。
先輩の顔を見ると明らかにイライラとあきれが混ざった顔をしてそれがため息になって出ているのが分かる。
「すいません」と言うしかない。
「すいません」ばっかりが積もって行って覆っていった。
失敗して練習全体に迷惑をかけたくない。恥をかきたくない。
そういう思いが混ぜ合わさって、ぼくは少しずつ難しい練習から離れるようになっていった。
そしてだんだんとバスケ部自体から距離を置くようになっていった。
顧問の先生に「風邪です」「頭痛いです」「親が急病で」とかいろんな言いわけをしたけれども、きっとそんなのは嘘なんだということはお見通しだったと思う。
「盲腸かもしれないです。練習休みます」とか言ったはいいものの、おさえる腹が反対だったということもあった。
ぼくと一緒で高校からバスケを始めた人らもいたのだけれど、彼らはなぜか他の経験者を差し置いてスタメンに入った。
「あいつは先生のお気に入りだからな」
「あいつは身長でかいから、それだけだろ」
「あいつはさ…」
と、控え組と一緒になって「彼らはぼくらを何一つ越えちゃいないのだ」と確かめ合うようなことを言った。
そしてついに完全サボり組になった。
先輩がランニングをしているそばを悠々とチャリで走って帰ることもあった。
けど、先輩は気にしていなかった。
どうとも思ってなかったのだ、ぼく一人がいなくなったところで。
恥が嫌い。
上から言われるのが嫌い。
下手くそが嫌い。
小学校のころは一応サッカーの選抜、中学校のころは素人から始めた人たちの中でテニス部の部長。
よくわからないけどある程度恵まれたポジションでスポーツをやってきたじぶんとしては、できないことで恥をかくことが嫌だし、そういうじぶんをまざまざと目の前にしてしまうのが、本当に嫌だった。
不運にも5名のスタメンを争うのに学年で30人近い部員。
勝負は見えていた。
体育館が吐き気がするほど嫌いになった。
「大地、そろそろちゃんと部活行こうよ」
と、Kが放課後のクラスをのぞいて言ったのは2年生の春だった。
Kは変なやつだった。
バカなやつだった。
小学校からバスケをやっていて恐ろしいくらいうまいのに、努力すればもっともっとうまくなれるのは下手っぴのぼくだってわかるのに、控え組に甘んじていた。
彼は顧問が嫌いで。意味のない練習は嫌いで。けど、バスケは好きで。そして仲間が好きだった。
それはぼくのような下手くそに対しても同じだった。
「大地はすごいよ。お前うまいなあ」
と何を根拠にしているのか分からないけど、そう言っていた。
ぼくはそういう発言とか態度が「バカかこいつ。何を根拠にして言ってるんだ」としか思えなかった。
そのKが、「そろそろ3年生もいなくなる。おれら2年生の時代だから、なあちゃんと行こうよ」
と、何を思ったのか言ってきた。
最初はめんどくせえよみたいな嫌な顔こそしたのだけど、Kが負けじとけっこう言い寄ってくる。
押しには弱いので、まあ少しずつきちんと部活行くかと思い直すことにした。
言ってみれば先輩がいなくなったからやりやすくなったという話で。
ぼくはそこからはある程度練習をきちんと行くようになった。
けど先輩がどうこうだけじゃなく。
Kがぼくにいろんなことを教えてくれたのだった。
Kは複雑な練習になるとある程度ぼくに教えてくれた。
そしてぼくもKに聞いた。
そうしてある程度練習のことが把握できるようになると、少しずつ、少しずつ、部活にのめり込むようになっていた。
練習ノートを毎日書くようになり、明日はこうしてみよう、今日はこれができなかった。くそう。
動きがむずかしいフォーメーションやら練習やらは授業中や休み時間にノートに何度も線をぐりぐりしてイメトレした。
練習量も部活の時間だけでは足りなかった。
だから、体育館が閉まるギリギリまで残って毎日練習した。
「もう体育館閉めますよ」という警備員に「は〜い」と言ってボールをしまうふりしていなくなってまたシュート練習をして、警備員が「早く出てってください!」と怒られる。聞こえないように「うっせ」と言って着替えに走る。
土日の練習が終わるとみんなで飯を食いに行っていたのだけど「おれはいいや」と断った。
金もなかったし、彼らがやっていないときにやらないと追いつけないと思ったからだ。
昼休みも練習をするようになった。
昼飯は2時間目の休み時間には食べていて、昼はジャージに着替えて体育館にダッシュした。
それでも足りなくなって朝練習もした。
まだ体育館が閉まっている時間に体育館の鍵を借りに行って、まだ誰もいない体育館でボールをついて響く音が好きになっていた。
さすがにテスト休みの期間に体育館倉庫の鍵を借りに行ったら体育教師に怒られた。
「今、お前どういう期間だと思ってんだ?」
「けど、シュートしないと鈍っちゃうんです」
というわけの分からない会話で応戦した。
それでもカギを貸してくれないから舌打ちして帰り、それからはジャスコのすぐそばにあった広場にあるゴールを使って練習するようになった。
練習のない冬の雪のつもった日はNBAを観た。
よくわかんないけどとにかくバスケ観ておこうと思って、コタツでうたた寝した。
恥がこわくて逃げていた日々のぼくが見たらどう思うだろうか、というくらい、のめり込みようだった。
そしてそういうぼくの自主練の隣に、なぜだかKはよくいた。
なんでこいついるんだろうな、みんなと飯食ってくればいいのに、とよく思っていた。
「すげえなあ、シュートめっちゃ入るようになったなあ!」
「おまえ、速くなったんじゃね?」
とか褒めちぎっていた。悪い気はしなかった。
それでもKは相変わらずうまくて、相変わらずコーチともそりを合わせようとせず、努力が嫌いで、レギュラーになったりならなかったりな日々だった。
そしてどちらかと言うとぼくのほうが上位で試合に出ることも増えた。
それをKはじぶんのことのように喜ぶバカだった。
バカだなあ、抜かれてんじゃん。
お前のほうがよっぽどうまいのにな。
最後の大会。
ぼくは1試合だけスタメンで出ることができていた。
ベンチでも8、9番目に出されるくらいの順番
ベンチにも座れない同級生がいた中で、腐っていたときのぼくから考えたら失礼なくらいな状態だった。
それでも、大切なことはそういうことじゃないと思う。
あそこまで腐って絶望的で楽観的に見るためのひとかけらもないように見えた状況で、なんとかしようとしてのめり込んで、打ち込んで、続けられたことこそ、大切なことだった。
それは、大げさでもなんでもなく、その後の浪人生活や仕事をする上でも、まぎれもない原動力になっている。
ぼくにとっての「グリット」だ。
『仕事を辞める人、続ける人の違いは「グリット」を持てる経験にあるんじゃないか』
そしてその縁の下には、Kという支えがあった。
「おれ、マジでおまえとバスケできて良かったわ〜」
と彼が最後に言ってくれた言葉。
たぶん、バカなあいつのことだから忘れてると思うけど、ぼくは忘れないと思う。
電車の中にまでバスケットボールを持ってくるほどのめり込む彼の姿を見て、あの日を思い出す。
逆にぼくは今、あれほど恥も何も捨てて、途方もなく先に広がる光でも目指すような、そんなことができているだろうか。
なんて思い出したのです。
人生をかっぽしよう