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人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

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ケンカしたら「ごめん」って言うべき?態度で示すべき?

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先日、母と父がケンカをしていた。

母は母なりに父に期待していたところもあったようで、父は父なりにきっと何かあった。


それでも、ささいなすれ違いで、
母が手を貸して欲しかったところを、父が手を貸してくれなかった。
「できるよな」と言って母に放り投げてしまった。


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まあ、家庭内のことなので細かいところは書かないのだけど、ある程度他人に分かるように書けばそんな感じだ。


「それならもう何も求めない」
という感じで、それから母はだんまりに入ってしまい、とりあえず全部じぶんでやろうと決めたみたいだった。


父は末っ子だ。ぼくと同じだ。

みんながみんなそうじゃないけども、末っ子っていうのは言われないと分からないことが多かったりする。

よくバイトで
「仕事がないなら“ 仕事ないですか? ”って聞くのが当たり前」
って言われるけれど、
末っ子ってああいうのが一番ダメで、じぶんができるだけ動かない方法を考えつつ、他人の顔色を最大限うかがいつつ、気持ちを汲み取ろうとするから、
「仕事ないですか?って察して聞きなさい」
なんてモラルは混乱する最大の原因なんですわ。

今回の話も、やっぱり父がそういう末っ子根性を発揮したみたいで。
以前(5年ほど前)の父から比べたら今の父の行動はだいぶマシにはなっているのだけど、人間もっともっとと求めてしまうところもあり、母はそんな風に少しはマシになった父にもプチっときている。


「大丈夫、全部やるから」と言って母が全部やりだしたから、さすがに父も母の怒りを感じ取り、申し訳ない&ヤバいと思ったのか、父はいつもはやらないこともやるようになった。
買い物行くか?これやるか?と。


そういう態度は、父なりの「ごめん」であるのだということは、ぼくから見れば分かる。
だから母には「ちょっとは分かってあげてよ」とぼくは思ったりする。

けれど、母はその他の小さいことも積み重なっているのだろう。あんまり許していないみたい。

そして母の怒りは父が「ごめん」とハッキリ言えばある程度「私もさ…」となってくれるのだと思う。


父は「ごめん」って母に言えない。言わない。
それはきっと二人が築き上げてきた関係がそうしてしまうんだろうと思う。
照れとプライドと体裁と……そういうものがノド元でジャマをして言葉をつまらせる。

母は「ごめん」って言って欲しい。


ああもう!って思う。めんどくさいって思う。
ふたりとも正座させて「はい!思ってること言え!」ってやりたい。





「ごめんなさい」って言ったほうが万事解決することなんて多くの人がわかっている。
言うだけタダだ。命がなくなるわけでもない。
けれど、それを言うのが難しいから、みんな困っているのだ。
言ったら何か失うと何となくわかるから、難しいのだ。



だから、その代わりに態度で示す。「ごめんなさい」って態度で示す。
けど、それじゃ満足ではない。「ごめんなさい」の代わりにならない。


「”ごめんなさい”って言いなさい」なんて幼稚園のころから言われてきたのに、岩でも持ち上げるかのごとく言うのが難しいこの言葉よ。


ああああ。もう。 っていっつも思うよ。


人生をかっぽしよう


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