人生かっぽ

人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

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恋人との「別れ」と「後悔」と「未練」を2年間書き続けてきた僕なりのまとめ

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別れの季節ですね。
ブログを読んでいて、うちの恋愛記事人気テーマのひとつとして「別れ」があります。


ぼくは約2年間、たくさんの方々の別れについて聴いて、考え、話してきました。


そこで今までの「別れ」についての記事をピックアップしつつ、今までいろんな人の別れについて書いてきて考えたことを書きたいと思います。

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彼らが別れる理由

別れる理由はひとりひとり様々で。


期待していたことが返ってこなかったからとか。

「最近もう本当に寂しかったし、イライラしたし
求めてることが何にも返ってこなかったんだよね」



言いたいことが言い合えなかったから、とか。

「ケンカしないんだよね、おれたち」
と言っていた二人が別れた。


おしどりカップルなんて呼ばれていた。

あんな風になれたらなと言われていた。


突然のことだった。


最後も、ケンカはしなかった。
けど、彼女は彼に思っていることを全て伝えた。


彼はそのときに、やっと気づいた。
うまくいってなかったんだ、と。



じぶんの必要性を感じなかったから、とか。

だって一人で生きていけそうだもん。


別れようと切り出されたその日、「どうして?」とか「何が悪かったの?」とか質問して、彼女からしっくりしない返答をいくつももらって、また質問して、を繰り返し、てんやわんやと何かを言い合ってからの、その一言。


彼は結局その言葉を、彼女から恋人としてもらう最後の言葉にした。



タイムリミット、とか。


遠距離になったら無理って思うからね、付き合っても3月までかなぁって思ってた。



およそ別れる話題についての話をしているとも思えないような明るさで話をしていた。

彼女の中で淡々と何かが終わって、始まりへ向かう。


それぞれの関係ごとにそれぞれの理由がある。

この人とはこれで良かったから、この人とはこれでいい、なんていう攻略本はない。




別れは優しさ

どうしてだろう、別れる瞬間の話を聞いていると、いつも一番その二人が優しい瞬間のように思う。

「別れよう」と切り出されてから、タクシーに乗り込むまでの恋人ではない数時間、今までには聞けなかった、話せなかった、いろいろな話をした。


それはお互いに付き合ってるときだったら「嫌われるかな」なんて思って遠慮していたこととかを言えるから。

きっとお互いどこかで遠慮していて、けど


きっとこの先会うことはないし、もし会ったとしても「恋人」という関係じゃないだろうから、「恋人」として言えることをめいいっぱい言うんだろうか。

「大丈夫ですよ、わたしなんかより、
 きっといい彼女が見つかります」
そう言って出て行く。

別れても応援してるね。

彼にはやりたいことがあって。その話をよく彼女と話していた。

できるといいね、楽しいね。そういう時間が楽しかったし、彼女もそうやって追いかけてる姿がいいと言っていた。


なのに、別れの言葉が、それで。



優しいからこそ、その分辛くなるんだろうなあ。

けど、優しくしてしまうんだよね。

それって卑怯なんだけどね。卑怯なんだけどさ。優しいよね。



別れ際に滲み出てくるこの優しさに、正しいも間違っているもないんだと思う。



別れは未練を生む

やめるね、不倫相手。
とその人から聞いたのは、昨年早々。電話で。

お、おう、みたいな感じで返事をしたと思う。

不倫相手と特に仲が悪いわけでもないし、何かがこじれているわけでも、彼女の中にも不倫に対しての葛藤があったわけでもなかった感じだったから。
戸惑ったというか、いまさらどうして、ということがあったから。



当然ながら別れは未練を生む。


フるほうも、フラれる方も。


この人と一緒にいたら、こんな楽しいことがあるかもしれないな。
ということを無視して別の可能性を見つけるということだから。


何かを断るということは
「その可能性を一度無視して別の可能性に賭ける」
ということなのだと思う。

たとえば、好きな人と別れる。
付き合い始めて、1年経って、気づく。
「この人、心地よくない」
けどいろんな場所に行ってきた。この先、大切な約束もした。
どうしよう。




私は、未練に見切りをつけられない。



もしかしたらその可能性は、無視している間にだれかに取られてしまうかもしれない。
それでも、無視をする。
見ないようにして、また別の未来という可能性を見る。


それはとても怖いことだけど、そうしないとズブズブ行ってしまう。



思い出してしまうこともある。

四年の恋愛というのは大きい。
ああ、と彼女は思う。
ノートの間に挟まっていた映画の半券がふと落ちてきたから。


一体にして、どっからどこまでが自分のものか相手がくれたものか分からない。
別れてしばらく経つのに、気を抜くと昔の彼氏の面影がひょっこり顔を出して困らせてくる。


拾い上げた半券を、しばらくどうにもできず、何となくまた戻す。
捨てなかったのは、彼に気兼ねしたわけじゃない。もはや自分の思い出でもあったから。


四年というのは、でかいんだよ。

フラれたショックから彼女は立ち上がれないでいた。
休みたい。ちょっと自分を休ませよう。


4ヶ月と、ちょっと。
付き合った時間こそ短い。
けど、彼女が想っていた時間は彼のそれよりずっと長かった。
2年近い片想い。
それがやっと実った恋だった。
それが一瞬にして崩れ落ちた。


「やっぱ無理だった。友達に戻らない?」
無理って何なの。友達、戻れるの。どうしたらいいの。


多くの場合、
気を抜くと、きっと幸せだった過去に引き戻されそうになる。

過去が袖をひっぱって、現実が前に進まない。

気づけば、過去に引きこもる。

それが別れというものの持つ、エネルギーの強さ。




別れは強さを生む


未練に袖をつかまれても、それでも、振り切って「今」を見て、「未来」へ向かう。

そうすると、楽しさはまだまだ無限大に広がる。



どうやって過去に「次行くね」って言うか。



それをみんな悩んで、考えている。

で、じぶんなりの方法を見つけていく。


思うんですけど、忘れなきゃいいんじゃないかなと。


忘れられない人ってね、いるんですよね。
片思いでも、恋人になったとしても、どっちでも。

ぼくはどっちの経験もありますね。
忘れられない人が、自分がいたときと、忘れられない人が、恋人の頭の中にいたときと。



 ***


別れたときは、きっとどん底で、ぽっかり空っぽで、もう次の可能性なんて絶対ないと思っちゃう。

けど、何かが「ない」わけじゃなくて、何かが「おやすみ」なんだろうと思う。

右手に持っていたものを手放したら、その右手できっと何かが持てまっせ。



人生をかっぽしよう

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