「もっと楽したい」と思ってた大学院時代の僕を目覚めさせたのは、先生の言ってくれた「投球フォーム」の話
もう限界だ、カンタンな方法を教えてくれ
「レジュメの効率のいい作り方わからないんですよ」
と相談したのは、大学院時代のこと。
学部時代とはレベルが一気に変わって、
本を一冊渡され
「これ、来週までに訳してレジュメ(要約)まとめてきて。ディスカッションするから」
とかはザラにあり、不器用なぼくはひいひい言っていた。
ひいひいを通り越して、陰鬱(いんうつ)とした気持ちになってしまったある日、
やっと教授に相談するわけだ。
野球好きな教授が、言う。
「佐藤くん、野球やったこと、ある?」
肩の力の抜き方は、肩の力を入れないとわからない
いや、そんなにちゃんとはやったことないんだけども。
けど教授は、そんなことお構いなしに続ける。
「肩の力抜くといい球投げれるんですよ。
けどさあ。肩の力抜け抜けって言ってもさあ。
最初に肩の力入れて投げてないと抜くものも抜けないじゃない。そでしょ?」
「そうですね」
「同じですよ、それと。
うまぁくやるためには、最初は何でもかんでもやりすぎなくらいやるんですよ。分かんないわけだから。
そうすると、ああ、ここはいいかなぁって分かってくるんですよ。この部分いらないなぁって。
ねえ?」
「なるほど、です」
「私だってそうですよ。
だからね佐藤くん、まずはガムシャラに読んでみて。
きっと分かってくるから、どこで力抜けばいいのか、じぶんでさ」
その言葉で、ハッとして。
とくに何か新しいことを教わったわけではなく。
ただ、思い出させてもらって。
じぶんが結局のところ、不器用な人間だったということに。
必要なムダ無きところに器用さ無し
「必要なムダ」っていうのがある。
上手で器用な方法を見つけるまでには
なんだかんだで、やりすぎなくらい最初はやって、
そこからだんだんとコツをつかんでうまくなっていくことに。
そのときのぼくは、大学にも長くいるようになったから、
なんだかんだで楽な方法を探していて。
いつもなんだかちょっと力を抜いてやっていて、
そうして「できない」「もっと楽な方法ないか」って。
いろんなことを人生で経験してできるようになると、
うまいやり方ばかり求めるようになる。
うまいやり方が世の中に溢れていることも知っているし。
たしかに、知識を入れれば、ムダは極力なくせる。
けど、究極ムダはなくならない。
何か未来に新しいことをやろうとすれば、うまくいかないことは出るし、
それはあとから見れば「効果の出なかった」ムダなことになる。
「過ぎたるは及ばざるが如し」
ということばがあるけれども、
「過ぎたる」も「及ばざる」も知らないと、「ちょうどいい」はわからない。
だから、いつだって、なんだって、ちょうどよさを見つけるためには、
いっぺんやりすぎなくらいやってみることが必要。
***
最初はまずなんにせよ、投げないといけない。
もがかねばならない。
そのときやっていることは、あとから考えればものすごいムダがある。
けどそうしてやっと、力の抜き方がわかる。
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