僕の日常が忙しさで食いつくされてしまっていた
ゆっくり、しかし音もなくだけれど、あっという間に日常は食われていた。
朝8:03
電車の中で揺られながら
洗剤買わないといけない。
ゴミ袋もだ。
ああ、来週の買い出しもしないとな。
そうだそうだ。
やんないと。
そう思っているじぶんの状態は
決して不快じゃないのだけれど、あまり心地のいいものではない。
それだけは分かってる。
朝日に照らされている風景を見やりながら、ぼけーっとそんなことを思っていると、ふと、気づいた。
ああ、これが日常に追われているってことなんだな。
引越しをしてからというもの、気を抜けば、そんなことを言っていたり、思っている。
つまりこう思う癖だ。
「ああ、これ『やらないと』。『やっとかないとな』」
何かやることがあるとき、ぼくの頭の中には「テトリス」が思い浮かぶ。
とぅとぅとぅるとぅとぅとぅるとぅとぅとぅとぅ。
なぜかBGMはゲーム『ドクターマリオ』である。
「やること」ひとつひとつは、「ブロック」のように上から落ちてくる。
それを適切に右に左に動かしたり、くるくる回したりして、つなげて消していく。
やることがどんどんたまっていくと、ブロックは処理しきれなくなってどんどん積み重なって、最後には画面からブロックがはみ出して、ぼくの頭はショートする。
だから、できるかぎりブロックを放っておかずに、画面に見えたら早め早めに処理する。
そうしてブロックを早め早めに処理していくと、
「やらないといけない」というブロックを準備して待ち構えられるようになり、「どっからでもこいや!」って思ったり、「次こういうブロックが来たらここにこうやって入れたる」というふうに思えるようになる。
こうやって余裕が生まれると、「やらないといけないこと」はいつしか「やりたいこと」に変わっていく。
「これやらないと」
ではなくて
「これをこうしたい」
と思う。
そう思うと、次のブロックが待ち遠しくなっていく。
とくにフリーターのときはこれだった。
収入を増やしていくためにも、日々同じことをしていたら、全然収入が増えない。
だから、今やっていることのブロックをできるだけ的確にスピーディーに反応して処理する。
それを無心でどんどんやっていた。
「時間がない」と「楽しい」のちょうど真ん中の感覚を走っていた。
けどいまは。
「やらないと」「やらないと」「やらないと」「やらないと」……
ブロックをギリギリのところで右に左に配置しながら時間がどんどん過ぎていく。
就職したから楽しくないとか、楽しいとか、そういうことじゃないのだろうな。
新しい環境に入ったときにどんどん降ってくる「やらないと」というブロック。
それに振り回されたり、処理しただけでのほほんとして落ちてくるのを待ってるのが当たり前になると、そっからはずっと「やらないと」のブロックばかりが落ちてくる。
「やらないと」の向こう側に「やりたいこと」を見つけようとすること。
その数センチの意志が、日々を飲み込まれずに楽しんでいくことなのだと、我心得たり。
人生をかっぽしよう
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