ぼくは捨てた。人を潰す「滅びの呪文」を
この前、ヒドイ記事を見た。
他人を徹底的に否定している記事だ。
「ダメ」「おもしろくない」「意味がわからない」
そういう言葉が右に左に並んでいた。
賛同するコメントが所せましと並んでいた。
愚痴的な記事というよりも、何らかそれで世の中に伝えようとしている記事であり、匿名にしてじぶんの身を隠している感じでもない。
がんばって頭をひねった記事なのかもしれないけれど、気分が悪くなった。
他人を悪く言うことでアイデンティティを確立している人がいる。
ぼくもそうだ。
そうやってじぶんが何がしかになっているつもりだったときがあった。
他人をサンドバックにすれば、じぶんが倒れずに済む。
他人を否定するのは、安定感を得るためにやっていること。
人を否定するじぶんが嫌いになり、できるかぎり否定しないように
と、いつからか努めるようになった。
だから「滅びの呪文」を捨てた。
「ダメじゃん」という言葉で閉めるのをやめた。
結論が「ダメじゃん」で終わると、言われた方が一番救いようのない感情に襲われるから。
最大にして最悪の攻撃呪文だと思う。
ザラキだよね、ザラキ。
同じようにして
「だからつまんないんだよ」
みたいな言葉もやめた。
こういうざっくりと否定する言葉で終わることは言う方は楽だ。
気に食わなくなったことをそのまんま感情のおもむくままに吐き出せばいいから。
途中までは論理的でも、最後の最後でラクをするから、「だからダメじゃん」で終わらせる。
言っていてそう思った。
「必修単位落としたらダメじゃん」
「納期守れないとダメじゃん」
「すぐ転職ばっかりしてたらダメじゃん」
何がダメなんだ。それが聞きたいっていうのに。
「だからダメじゃん」っていうのは、言う側のサボりみたいなところがある。
きっと頭の中には前向きにするための方法みたいなものがイメージとして浮かんでいるのに、一粒一粒言葉にするのが面倒くさいから、「ダメじゃん」というカタマリでどがあああんって投げつけてつぶしてしまう。
だから、言わないようにした。
下手くそでも、なんでも
「だからダ……」と出かかって「だからこうなってしまうよね。これは良くない結果だよね」と。
誰にも感謝されないし、悪口を言うほうがよっぽどキレのあること言っているように見えるけど、言い続けた。
そうしたらやっぱり相手には伝わっているみたいで、うんうん、ああなるほど、みたいな感じで前の言い方よりもよっぽど前向きにとらえてもらえるようになった。
そういう「ダメじゃん」を言わないクセは、もちろんSNSやブログでも気をつけてやるようにした。
それでも。
やっぱりブログなんかの世界では終わりをダメじゃんと言っている人のほうがもてはやされているみたいで、うらやましくて、そっちのほうが真実なのかもしれないと思うときがあった。
なんだかんだで、炎上したほうがアクセスもらえるし、注目されるし、ファンだってついている。ように見えたから。
それがお茶の間の会話なら悪口なのに、ことクリエイティブなんて言葉が支配する場所だと尖ってるという言葉で受け入れられる。
やっぱり強烈に否定的に言ってみようか、そっちのほうがラクだし、と何回も何回も思った。
何気ないときに
「あの人は、人を悪く言わないから」
そう言われたことがある。
一度は親に。
もう一度は知り合いに。
だから相談してみたら良いよ、とか、だから他人が頼りにするんだよ、と言っていた。
そんなことを又聞きで聞いた。
なんか報われた気がした。
お世辞でも嬉しかった。
素直にできていたことじゃなく、それなりに頑張って意識してやっていることだからよけいに嬉しかった。
否定の力というものは、悲しいかな、とてもとても強い。
それは以前も書いたことでもある。
「だからあいつはダメなんだ」
「だからこの時代はダメだ」
「だからこの国はダメだ」
この呪文は、おそろしい闇の呪文だ。
この呪文を聞くと、それまでは周りを悪く言わずに、それを内に秘めて頑張っていた人間が、努力することをやめて、せき止めていた栓が外れるように、一緒になって悪く言いはじめる。
けれど、悪口は、悪口だと思う。
何かを生み出したり発信したときに
だれかが傷つくことと
だれかを傷つけること
は似ていても違うんだと思います。
ぼくは「だからダメじゃん」を使いたくない。
人生をかっぽしよう