私の好きな人をバカにすんな。
人の好きな人をバカにすんな。
という声が彼女から聞こえてきそうだった。
「あんま気分良くなかった」
「できれば、ああいう人と話したくないかも」
と控えめに言っていたけども、いつものその女友達の様子からするとかなり怒っていた。
その怒りの矛先は、
さっきまで一緒に話していて、すでに席を立っていた女性。
ぼくと女友達が話していた女性は、最近の女友達の好きな人に対して盛んに話に乗ってきた。
最初こそ、恋愛の話をウキウキして話して、えーどんな人ー? まじでーそうなんだーいいなあー恋愛いいよねーみたいに話していたけれど、
どんな人ー?みたいな質問から少しずつ流れが変わってきて、えーマジで、ちょっとその人ナヨッてしてない?わたし料理得意系男子ダメなんだわーとかなんとか自分の評価をし始めて、
しまいには、あーわたしその人あんまり好きになれないなあ、なんてことを言い出す始末だった。
女友達の反応がだんだんと雲行きあやしくなっていったのはなんとなく察しがついて、だからとにかく話が早く終わって、その場を女性が去ってくれるように仕向けた。
ふたりになった後、
「べつに、これができるから好きだとか、これができないから好きだとか、そんなのどうでもいいし、私は、好きだし」
という、その人なりの精一杯の抵抗は、彼女自身の体裁を保つためというよりも、今そこにはいない彼女の好きな人につけられた傷を、必死でいたわるように見えた。
好きなものを、悪く言われたり、疑いの目で見られることの、いらだちと、辛さと、苦しさ。
ちょうど読んだこの記事の中で書かれていたのは、
「じぶんが好きなものを否定すんな」
ということ。
人が美味しく食べているのを「それ美味しくないよね」って言うやつって何なの? - 全マシニキは今日も全マシ
「このビールは発泡酒だからマズイなあ。」
「よくそんな肉を食えるなあ。こんなマズイ肉いらないわ。」
こっちは美味しく食べているのに本当に萎えます。
以前、Twitterでも似た話を見た。
『私が大好きなアニメを見れなくなった理由』(1/2)
— みこと/micorun (@micorun) 2016年3月1日
割と実話マンガ pic.twitter.com/3vf1UJhaHe
『私が大好きなアニメを見れなくなった理由』(2/2) pic.twitter.com/Ggt0NoBMu5
— みこと/micorun (@micorun) 2016年3月1日
この漫画では、「批判」という言葉が使われていたけど、その真意は、好きなものを「良い悪い」の評価の天秤に乗せないでほしいということなんだろう。
この漫画はそこらへんがひしひし伝わってくる。まあウンチクが売りになってるところもあるけど。
「好き」とか「愛情」ってなんだろうか。
「好き」とか「愛情」っていうのは、「無条件」なんだと思う。
好きなものというのは、評価とはそもそも土台が違う。
感じ入っているみたいな状態であって、それはもはや良し悪しという部分評価を飛び越えている。
全肯定なのだ。
なのに、それを目の前でバキバキと分解して、崩して、
「これは良い部分」
「これは悪い部分」
と分解されたら。どうか。
私が愛していたのはそういうものじゃない、と、言いたくなる。
「この人のここは良いよね」
「ここは人としてどうかな」
「こういうとこは苦労するよな」
なんていうもんじゃないんだ。割り切れるものではない。
だから好きとか、嫌いとか、そんな方程式は成り立つことはない。
「好き」は「好き」でしかないし、それ以上でも以下でもない。
けど思い返せば最近、じぶんも他人の好きな人のことをあれこれ言っていたなあと思って、ちょっと反省しないと。
人生をかっぽしよう
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