彼らが理想の人を「最短」で「たくさん」見つけた方法
どういうわけか、最近「理想の人」について話すことが多い。
男3人で飲んでいたときは
「『理想の人ってどんな人ですか?』って聞かれると最近困る」
という話をしていた。
昔はそう聞かれたら不思議なほどスルスルと出たもんだったよね、いやおれは今でも出るよ。とか。
好きになった人が理想の人ですとか答えとくととりあえず好感度上がるよねとか。
またあるときは、こんなことも。
男4人で飲んでいたとき
それぞれが付き合っている人が理想的な人だったかどうか
という話をしたときに、みんなが口を揃えて「全然」と言った。
いや、おれはもっとこう顔がこういう人が良かったとか、性格がこういう人が良かったとか、胸がこうなのが良かったとか、そういうことを話しては現実とは違う世界に思いをはせていた。
それでも。
みんなそれぞれにじぶんが付き合っている人が好きみたいで。
「まあ、結局ね。いまの人が好きなんだけどね」
「なんだかんだでこういう人のほうがじぶんには合ってたのかもね」
みたいなノロけなんだかあきらめなんだかよく分からない感じの会話が話の区切りに入った。
そしてそしてまた別のときに
彼女のこういうところ、おれは絶対にいやだったはずなんだけど、もういつの間にか許せるようになっちゃってどうでもいいんだよね、
という交際4年、そろそろ結婚を考えるステキ男子がぼくにこう言った。
そういうときに、ふっと頭の中に言葉が浮かんだ。
実は理想の人のストライクゾーンっていうのは、広がる可能性があるのかもしれない。
ぼくらの生きかた次第で。
と。
きっとぼくらがもっともっと幼いころって、人間をもう少しシンプルなものに考えていたんじゃないかなあ。
優しい人間。
賢い人間。
かわいい人間。
かっこいい人間。
料理の上手な人間。
きっちりした人間。
こういうステータスだけをもった純度100%の人間っていないかなあ。
なんてことを思っていて、そして、それはきっといると信じていて。
それが他人とたくさんたくさん関わって、話して、ケンカして、仲良くなると、もう少し人間が「複雑なもの」だってことになんとなく気づいていく。
優しい人間は、実は意地っ張りで、引っ込み思案で、料理が下手だとか、
賢い人間は、実はそうじが嫌いで、オタクで、浮気ぐせがあってとか、
かわいい人間は、実は八方美人で、雑で、お金にルーズだとか。
人間は単純な足し算ではなく。
足し算もあれば引き算を起こすものも入り組んで中にある。
ある人にとっては足し算が、ある人にとっては引き算だし
今日はそれが足し算であることが、明日は引き算に変わっている。
そういうことを他人との関わりの中で少しずつ少しずつ気づいていくと、そうか、人間なんてそんなものなのだからベストなんて目指さなくて
だから、どっちかと言うと、
理想の人をたくさん見つけられる人こそが、逆に周りから見たら魅力的な、理想的な人になっていってるんじゃないかな。
理想の人に出会う最短の道はきっと
理想の人を探しまわるよりも、じぶんの中にある他人を受け入れるストライクゾーンみたいなものを広げてしまうこと。
最近の「理想の人」トークの連発に、ぼくはそんなことを思った。
人生をかっぽしよう
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