花火のような人になれなくてもいい
花火の引力っていうのはすごい。
と、やはり毎年のように思うけど、今年はちょっと違うように見ていました。
どーんという音を聞くと、まちじゅうのひとたちがそちらを見て、
誰が呼びかけるでもなくぞろぞろとそちらに引きよせられる。
それで、終わったら終わったら、名残惜しそうにみんな帰る。
「終わっちゃったな」なんて言葉も出る。
花火。
ずっと、花火のような人間になりたいと思っていて。
いや、はっきりと「花火のように」なんて言葉を思っていたわけじゃないのだけど
そういう人になりたいとは思っていたわけです。
曲がりなりにも、井の中の蛙でも
「大地さんのようになりたいです」
と言われてきて、それはそれで嬉しくて。
二浪して大学入ったのもあったから。
周りは年上ってこともあって尊敬してくれて。
ぼくはステージの中心にいつも立ちたくて。
そこにぼくじゃない別の誰かを立たせたくなくて。
どうやったら立てるだろう。
どんな面白いことをしたら立てるだろう
どんな尊敬されることをやったら立てるだろう。
そう思っていて。
この一年、いろんなことを見てきた。
誰かが成功するところ、失敗するところ。
自分が無力なこと、必要なところ。
人の一生が終わる瞬間、人が生まれる瞬間。
なんだかそういうことが重なる一年で。
そうしたら、うまく言えないけど、
いや本当はこういうことを書く上ではうまく言わないといけないんだけど
「真ん中に立たなくても、いいかな」
と思うようになった。
それが自分をひどく疲れさせてることに気づいたんです。
「見て見て」ってやって
見てくれない周りを悪くいうことに、虚しさを感じたんです。
花火。
今年は見ても、ぼくは、この花火を見上げるひとりでいいやと思います。
それよりも、今年も花火が打ち上がることに、嬉しさを感じます。
って言ったらちょっとかっこつけすぎですかね。
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