人生かっぽ

人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

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やる気をなくす言葉を使う人←→やる気を与える言葉を使う人

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やる気のある人を一気にやる気なくさせる方法があるんですよね。

「難しいよ」
って言葉です。


それと反対の言葉を言ってもらえたときに、
ぼくはすごくすごくやる気をもらったんです。


エネルギーが消えた日

Takoyaki
Takoyaki / Matt Biddulph


ひらめいてしまったんですね。ある日のこと。

すごく自分なりに面白いことを考えついたときがあって
「これ、どうだろうな」と思って色々な人に聞いてみたんですね。
「いや、こいつはなかなか面白いに違いない」

けど、その考えはすぐに砕け散ることになります。


だんだんと最初の燃え盛るようなエネルギーがしゅんってなって
「そっか、あんまり面白くなかったんだな」
「ひとりで騒いでただけでそうでもないんだ」
って、最終的に静かに残り火に水をかけ始めるようなことばかり考えるようになりました。


特に相談とかなんとかするつもりではなくて
先輩のところに行って、話のついでに思いだしたそのアイディアを言ってみたんです。
前とは変わってそのアイディアはもう話のタネくらいでいいやと思って話したんですけど
それを聞いていた先輩が、ちょっと面白そうな顔をして
「ここについてはちょっと心配なんだけど、ここさえなんとかなれば、できるよね」
と言われたんですね。
「いいんじゃない、それ。けっこう面白いじゃん」


それめっちゃ嬉しくて。
なんか途方もなく元気が出てきたんですよね。



後輩や友達に相談されたとき
「こうしたいんだけど」
そう言われると
「こういう部分についてもう少し考えたほうが良いよね」
「ここ考えないとダメだよね」
「うーん、正直それってあまりいらないと思うんだけど」
そんなことばっかり言っていて。


ぼくらって、誰かに自分の考え聞いてほしいときって
やっぱりどこかでは「ちょっと面白いかも」って思ってるわけで。
なんでもかんでもネガティブなこと言われるとやっぱり辛くなっちゃうんですよね。


ただ、どうしてこういう言葉を、応援したい相手にかけてしまうのか。


知らず知らず教える側に立ってしまう

Takoyaki!
Takoyaki! / T.Hagihara


その理由は、「教える側」に自分から意識して立ってしまうからだと思うんです。
相談されると、「何か役に立つことを伝えないと」→「何か教えないと」って思っちゃうんですね。
で、「教えないと」が、だんだん「相手は何か足りない存在」にしてしまうんですね。

そうすると、最終的には、
「こうだからダメなんだよね」
という相手の足りないところを指摘するネガティブな結論になってしまう。



一方で、ぼくがあのとき言ってもらえた言葉ってのは
「ここさえなんとかすれば、できる」
というポジティブな結論だったんですね。

そういうことを言われると
「そうか、その部分の課題さえうまくやれば、あとは先が見えてくるんだな」
と頑張る意欲が湧いてくる。

意味としては
「こうだからダメなんだよね」
「ここさえなんとかすれば、できるよね」
どっちも同じ。
けど、結論がネガティブなのか、ポジティブなんかで、全然相手の受け取り方やその先のやる気が全然違う。


うまくいかなかったら待ってっから


Takoyaki with wasabi mayonaise - Cafe Uzu AUD5 for 6
Takoyaki with wasabi mayonaise - Cafe Uzu AUD5 for 6 / avlxyz




この『人生かっぽ』では何度も出しますけど、小山田咲子さんの言葉に

年上の人間が年下の人間に、ただ「知らない」という理由だけで自分がちょっと垣間見た世の中の複雑さやつらさを見せようとするのは罪だと思う。

大丈夫、今が一番つらくて後は楽しくなるばっかりよと伝えた。
嘘ではない
悩みの真ん中にいるときは誰だって自分が世界で一番つらいし今までで一番悲しい

えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる 新装版


って言葉があるんですけど、
これは全然甘やかしじゃなくて。

苦しいときは、結局来るわけじゃないですか。
どうやったって来る。

けど、いまその場にいない人間の足を止めてどうするんだ、と。

しかも、まして少しは応援しようと思っている人間なわけで、相手は。


だから、やっぱり言われたときぼくは嬉しかったんですよね。
「大丈夫、幸先は明るいさ」
って言われた気がして。


そして同時に、自分が今までかけてきた言葉を見返したんですね。
そしたら思ったのが、なんて言葉をかけてきてしまったんだと。
もしかしたらどれだけの目を紡いでしまったんだと。


だけど、もう過去は変えられないので。
それからは、
できる限りその人たちの視線の先が地平が開けていて、明るいよって伝えたいなと。



その代わり、きっと先々でもうまくいかなくなるかもしれないから
「うまくいかなくなったら、また話してよ。待ってっから」
って言うようにしています。

いや、そのときになったらそんなこと忘れているかもしれないし
言われたときはきっと何言ってんだこいつって思ってるかもなんですけど
けど、本当に悩んだときに、他に誰もいないなら、ちらっとだけ頭をよぎってくれれば良いなと思ってるんです。
そのときへのタイムカプセルみたいな感じです。
「うまくいかなくなったら、また話してよ。待ってっから」って。



 ***



「ここさえなんとかすれば、できるよね」
今も口をついて出るわけじゃなくて
「ここがっ……」って一瞬戸惑うときもあるんですけどね。




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人生を、かっぽしよう
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