伝えたいことがあるなら「攻撃的な言葉」と「敬い」のバランスの取り方を考えていきたい
何かを伝えようと頑張るうちに失敗しちゃうこと。
ぼくもブログなんか書いてますが、表現が強烈・過激になっていくことを感じます。
「年収600万以下の男性なんか一緒に生きる価値がない」
「有名大学出ていない女性はちょっと修行してこい」
「世界一周旅行したがる学生は頭が弱い」
そうやって刺激して多くの人に見てもらおうと思うからです。
そして自分に自信があるときもまた、表現が強烈になってると思いますし、他の人を見てもそう思います。
ただ、こういう否定的な言葉で攻撃する方法、使い方を間違ってはいけないと思うのです。
そうしないと、相手も傷つけるだけだし、自分も傷付けられる泥沼の始まりです。
カギは、「敬い」だと思います。
恵方巻き / zenjiro
どうして人は否定的なことばを使いたがるのか
恵方巻き / zenjiro
こちらのブログ記事を読んだわけです。konifar.hatenablog.com
意見があること自体はすごくいいことなので、せっかくならそれを誤解のないように伝えられる方がいいのになぁと残念に思ってしまいます。
死ねとかバカとかクズとか過激な言葉が入ってしまうと、本当はいいこと言っていても、「なんかこの人嫌な感じだなぁ」となってしまって伝わりません。短絡的で感情的な人なのかなというところに意識が行ってしまうからです。
ここで言われる「汚い言葉」っていうのは「否定的な言葉」「相手の価値を下げる言葉」「過激な言葉」だと思います。
「相手の価値を下げる言葉」「過激な言葉」については、今回はあまり深入りしません。
ここでは、汚い言葉という解釈の話を避けるために
「否定的な言葉」とします。
否定的なことばとの付き合い方を考えていきたいと思います。
否定的な言葉は否定される人を攻撃しがちです。
なぜ否定言葉で攻撃するのか?
それは、人は否定されると、自分の信念みたいなものが反応するからです。
否定されないと、多くの人は動いてくれないのです。
人々がアイデンティティを求める集団は、
一定の属性によって決定されるのではなく、
社会の中で抑圧されている「感覚」によって決定されている。
ということを言ったのはI.M.ヤングですが、そういうことだと思います。
そうすると、麻薬みたいにどんどん使ってしまうんですよね、ついつい周りから目立たせようとすると。
「年収600万以下の男性なんか一緒に生きる価値がない」
「有名大学出ていない女性はちょっと修行してこい」
「世界一周旅行したがる学生は頭が弱い」
こういうタイトル。
論理性は置いといて目立つじゃないですか。
だから、たとえ若干あおっていても
伝えたいことを読んでもらうために、目立たせるために否定的な言葉を使う。
書いている内容は、否定的な内容や傷つける内容だけじゃない。
だから読んでくれればわかる。
けど、これむしろ逆効果のときもあるんです。
最初の印象で決まる
恵方巻き。 / potaufeu
「初頭効果」というものがあるんです。
これは、人は最初の印象がかなりその後の印象も決めるというもの。
最初感じがいいなあと思ったらちょっと感じの悪いことをしても、
「あれ、おかしいな」と思うんですけど、その一方で
最初感じが悪いと、ちょっと感じの悪いことをすると「ほら、やっぱり嫌なやつだ」と結論づけられてしまう。
ブログを読んでいて、こんなタイトルがあったとします。
「年収600万以下の男性なんか一緒に生きる価値がない」
「有名大学出ていない女性はちょっと修行してこい」
「世界一周旅行したがる学生は頭が弱い」
いや念のためですが、これぼくの本心とかじゃないですからね、石は投げ付けないで。
こういうふうにタイトルが否定的な言葉だったり傷つく言葉で、イラっとしながらURL先をとぶ。
読み込みマークがぐーるぐーるが回っている間にはもう、気持ちとして出来上がっているわけです。
「どっかで必ず間違いがあるはずだ(=間違いを見つけてやる)」
「ボロ出てるに決まってる(=ボロを出させてやる)」
ありませんか? ぼくはややありますけど。そういうときはわざとコメントは控えます。
ぐっと我慢するんですわ。
じゃあ、ボロ出さずに完全勝利すればいいじゃないかという人もあるかもしれません。
新ノ口(にのくち)も立たないほどに論理的にがっちがちに固めてコテンパンにやっちめようと。
だったら少々否定的な言葉で威嚇してもいいだろうと。
たしかに、それで「論理」という土俵では勝つことはできます。
けど、「世の中」という土俵はいろんなルールがあります。
論理的に負けても、あの手この手で足をひきずったり、ジャマをしたり、つぶすことができます。
不毛なんです。
それは本人がそんなことをしているつもりがないときもあるんですけど。
ただの嫉妬や憎しみ合戦となってしまう。
それは歴史を見てきても例がありすぎる。
真の勝者は、相手を善き敗者(Good Loser)にします。
敗者に
「相手は素晴らしかった」
「敵ながらあっぱれ」
「また闘いたい」
そう思わせ、そう言わせるんですね。
そう言われないと、世の中では丸くおさまらない。
て言うか、そもそもなんで伝えたかったのか
自分とは違う意見を持つ人(たち)の意見を考え直してもらったり、変えてもらうため。
だとしたら、そのコテンパンに倒したあとに、何が残るんか。
否定的な言葉では、丸く収められず、泥沼になる。
否定的な言葉を使っても許されるとき
恵方巻き / yto
ただ、そうやって頭で否定的な言葉を使っても、許されることもあります。
そこで大事なのが前提として敬意があること、ということになります。
そしてそういう場合は、強めに主張しても、相手が善き敗者になる可能性のあるときでもあります。
まずひとつは、そういう言葉が「お約束」になっているとき。
たとえるなら、プロレスなどの格闘技の試合前のマイクパフォーマンスですよね。
あれ、幼い子どもならまだしも、ある程度格闘技の流れがわかってきたら、お互いがお互いに尊敬し、それらの言葉がお約束だってことはわかるでしょう。
「うわ、あの人にあんなひどいこと言われるとは思わなかったわ」
とか言って試合前にメソメソする人っていないですよね。
こういう、お互いにそれが「お約束でしょ」「そういうこというひとだもんね」って分かっていれば良いと思います。
お約束ってのは、お互いに伝わっている上で、楽しもうぜってことですよね。
それから、さらに大事なことは、
否定的な言葉の向こう側にきちんと愛情とか尊敬があって
そしてそれを最後に示している
ってことだと思うんですよ。
スポ根ドラマってこれの典型例だと思うんですけど
「バカヤロオオ!」って否定的な言葉をぶつけて、さらには殴るまでしてから
泣きながら抱きしめますよね。
#oit_rugby 20100505 - 06 / Sekikos
あの不可解な矛盾です。
100%責めて、最後は120%愛するわけですよね。
#oit_rugby 20100505 - 16 / Sekikos
いや何も、伝えたい相手を抱きしめろとかいうことじゃなく
ここで言いたいことっていうのは
相手に少し否定的な言葉や傷つけるかもしれない言葉を使うなら、
それ以上に相手のことを考えたり、調べたり、素晴らしいと尊敬がないと、
ただ傷つけ、ただ反撃を受けるだけってことです。
それは、いくら建設的な提案をしているとしても、です。
「お前が好きだから、我慢ならなくて言ってんだよおおお」
くらいの気持ちで言いたい。
スクラム / Sekikos
そして最後に言うってのも大事で
上で「初頭効果」というものを紹介しましたが
逆に「終末効果(親近効果)」ってのもあるんです。
これは初頭効果とは逆に、人は最後に接した印象を強く受けやすいってことですね。
まあただ、最後にいくら敬いの気持ちっぽいものを示したとしても
根本的に相手をよく知らなかったり、尊敬が欠けている。
そんなやつにまともなこと言われたとしても、自分の考えを単純に否定されてたまるか。
そんなふうに思うんじゃないすかね。
ラグビー部監督 / Sekikos
以上見てきたようにこういうふうに、否定的な言葉を使うとしても、
お約束になってるとか、
相手への敬いの態度があるときは、
許されることもあるわけですね。
***
誰よりも伝えたいことがあるんなら、
なぜ伝えたいのか。
そして、その人に敬意はあるか。敬意は伝わっているのか。
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