恥部ってどこからどこまでだ〜恥部の哲学@温泉〜
前回から続いている、温泉シリーズ。
(いや、シリーズ化する気持ちは毛頭ないのだけれど)
今日は、恥部について
温泉について、入ろうとしたならば、当然だけれども裸になる。すっぽんぽんである。
ぼくは結構恥ずかしがりなので、最初は恥部という恥部をタオルで隠す。
けど、他の人は、タオルを片手に持って、何も隠そうとせずに入っていく。
ぼくはそんな勇敢なことはできない。
ドアの向こうがどうなっているか分からないから。
ドアを開けると、そこにはちらほらと先客がいる。
湯船に浸かっている人たちもいれば、熱くなって湯船から出て、あられもない姿でいる人もある。
ぼくが恥部だと思っている部位は、真っ向からこちらに見えている。
それでもやはりタオルを取ることができず、湯船につかる前に、身体をきれいにする。
身体をきれいにし終わる頃には、周りを見て、自分もちょっとだけ恥部をちょっとだけ隠すようにして湯船のほうに向かう。
隠しきれているかは分からないのだけど、ポーズでも、隠す。
湯船にタオルは入れてはいけないので、仕方なく外す。
そうして、じっくりじっくり浸かる。
少しずつ少しずつ人が増えてくる。
ぼくの入り方は、じっくり浸かって汗をかき、それから水風呂に入るか水をかける。
これを3〜4セットくらいやっている。
で、一回目の温泉から出る頃には、
恥部という意識がほとんどなくなっている。
ほぼ隠すことはない。
水をしばらくの間かけて、湯船に戻ろうとしたとき驚く。
男子グループが3人ほどで入って来ていて、
彼らは湯船に浸からずに立っていて、恥部を隠すことさえしない。
恥ずかしくないのか……!
彼らを目の当たりにしながら、二度目の湯船に浸かる。
唇まで浸かって、あたりを見回しながら考える。
恥部ってなんだろう?
恥部ってどこからどこまでだろう?
まさにその部分が恥部なのだろうか?
いや、毛まで恥部なのだろうか?
いや、お尻が恥部の人もいるだろう。
女性はどうだ?
女性はぼくが思うに2つ隠すところがあると思うけど
女性同士ならどこが恥部なのだ?
恥部ってなんだろう。
恥部のゲシュタルト崩壊が起きてくる。
しかし、男子グループの勇敢なる立ち姿を見ていると
自分の気も楽になり、ついに後半には、ぼくも恥部を隠すことをやめていた。
恥部は、自分が決めることではない。
誰かが隠そうとしている様子を見て、それが自分の恥部を決めるのだろう。
純粋に自分が恥ずかしがったから恥部なわけではないのだろう。
帰り道、さっきの男子グループとたまたま外に出るタイミングが一緒になった。
不思議だ。
彼らとぼくはもはや恥部を見せているのに
今では服を着て隠しあっている。
このままぼくら四人しかいなかったら、ぼくらは服を着る必要がない。
ということは、ぼくらにとって恥部を決めているのは
ぼくら以外の誰かがいるからということになる。
その誰かが隠しているか、隠しているだろうから、ぼくらはその環境に入ると恥部を持つ。
身体的なパーツだけではなく、それ以外の思考の部分もそうだろう。
誰かが夢を隠すようになれば、それはぼくの恥部にもなる。
誰かが一生懸命さを隠せば、それがぼくの恥部になる。
恥部は、自分が決めることではない。
けれども、誰かが断固たる決意と行動で恥部をさらけ出し続ければ、世の中の恥部の範囲を変えられるかもしれない。
恥部。
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