空を見る日本人は、ぼっちではない
よく、空を見る。
空の写真が多い。
じぶんも見るほうだし撮るほうだけど、ほかの人たちも撮ることが多い。
空。
よく見ているから、よく撮りたくなるんだと思う。
「あ、今日の空は不思議だな」なんてふうに。
見ていないなら、気づくはずないもん。
祖父の死後、祖父が持っていた演歌のカセットテープを整理していた。
そのタイトルをひとつひとつ見ながら、気づいたのは、どの歌のタイトルも「自然」のことを歌っていた。
「◯◯岬」だとか。「◯◯の宿」だとか。「悲しみの◯◯川」だとか。
その一方で、
ぼくが生まれてずっと身近にあるJポップのタイトルや歌詞を考えてみると、だいたいは
「ボク」と「キミ」の歌だったり、
あるいは「ボク」のなかの葛藤だったり、
生きることを考えていたり、平和を考えていたり、自分というものを考えていたりする歌が多い。
Jポップの世界には、あまり「風景」がないような気がする。
そこには、ひとり何もない部屋で考えるような、そういう寂しさが感じられる。
「答えは“誰か”が教えてくれるものですよ」
「そこがどこであろうと関係なく」
人間関係の恵まれない人は、Jポップの世界では
なんとなく、不幸だ。
日本人っていうのは、自分たちの周りにある自然を目にして、
じぶんたちの気持ちを考えたり知ったりしてきたんじゃないかなぁと。
「アニミズム」
という考え方がある。
犬だろうが石だろうが、生物だろうが無生物だろうが、
ありとあらゆるものに魂が宿っているという考え方は、日本ではとくに強いとは言われている。
そう言えば、風景から歌い始めるのは
演歌だけじゃなくて、もっと前には俳句の世界で「季語」としてルールになっていた。
そうやって、
生れ落ちた瞬間に、何かしらの風景のなかにうみ落とされるぼくらって
それほど「ぼっち」ではなくて
というか、
そうやってなんとかじぶんが「ぼっち」にならない方法を考えてきていたんだと思う。
そして何よりもずっとそこにある空が、それなんだと思う。
人生を、かっぽしよう
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