ある老夫婦を写真で撮ってあげた日のこと
シャッターを切りに宮城県 松島へと向かった。
一眼レフを生まれて初めて手にしたので、
いつもの好きな風景をいつもとはちがうかたちで写し取りに行きたくなって。
がたんごとん、と電車にゆられ。
下手くそだろうと、どうでもいい。
いつものケータイで撮っている風景が、今回はこころなしかより一層に豊かに見えて、
そこに何となく嬉しさを感じて、何枚も、何枚もシャッターを切る。
シャッターを切っては撮った写真を確認して、
「ああ、こんなかんじに写るんだ、面白いなあ」
なんて思う。
もう少し光を入れて、オレンジっぽくして。
そんな感じにしてきり続ける。
一歩踏み出してはカメラを構えてシャッターをきり
また一歩踏み出してはカメラを構えてシャッターをきる。
だから、いつもよりもぜんぜん前に進まない。
1mがとてもぜいたくな経験に感じる。
海を撮っているときのこと。
老夫婦が、近づいてきて
「撮っているところすいません、お願いしてもいいですか?」
と、奥さんのほうが話しかけてきた。
旅行だろうか。
その時間が何ともほほえましくて、
ほんとにすいませんね、なんてぺこぺこされるけど
いいやいいんですよ、むしろありがとうございます、なんて変なことを言ってしまう。
話しかけてくるのは奥さんのほうで、
旦那さんはその横について感じ悪くはないのだけど、一言も話はしない。
この旦那さんは今はしゃべらないけれども
仕事をしているときはしゃべることができていて
けど、いざこういうことになると全く話せなくなるんだ、
なんて根も葉もない妄想をしながら、それも微笑ましい。
「後ろの島が写るように上半身だけで、お願いします」
と言われ、渡されたデジカメの画面を見る。
きっと一眼レフを持っているこの人ならば綺麗に撮れるだろうと思われてこの重要な仕事を託されたのか何なのかは知らないけれども、
とにかく素敵な写真になるようにと、
2枚、心を込めて、シャッターを切る。
ありがとうございました、ほんとうに撮ってるところすいません。
ぺこぺこ頭を下げながら、老夫婦がふたり横並びになって歩いていった。
このまちには、観光町という立場上、そういう「特別」を提供する場面がたくさんあふれている。
もう一回海に向かってシャッターを切りながら想像するのは、
あの2枚の写真をいつか見返して、あのときは素敵な時間だったなあと思い返している姿。
たぶん、今日という日は、あの夫婦にとっては特別な日で
そうして、人生をふりかえるようなときに、あの写真の瞬間を思い出すんだろう。
そのとき、うっすらとでも、
彼らの頭の中にはぼくがいた意味みたいなものが混じっている。
写真という存在として。
それは、とても幸せなことだよな、と。
「人間が一番悲しいときは、じぶんの存在を忘れられるとき」
だと、ずうっと考えていたんですが。
ここに来て、けどそうだろうかと。
たとえ、忘れ去られる日が来ようとも
だれかの関係のなかに、どこかで関わっていたなら
そのときのことがどこかで思い出されて、
それは、じぶんがいた意味があるよね、と。
そうやって、今日もこの瞬間に、
だれかの人生に関わって、ぼくの人生を彼らの人生にまぜこぜにしていく。
「その瞬間」にシャッターを切っていく。
あと、何枚シャッターを切ることができるのだろう
帰り道、けっきょく予定していた距離よりぜんぜん歩けなかったことをふりかえりながら、思う。
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