吐き気すら起こすような絵画たちに会いに行ってきた【鴨居玲展『踊り候え』@東京】
久しぶりの、内臓が重くなる感覚でした。
彼としっかり対するのは、大学最初のころ以来。
その人の名前が一体にしてどれだけ知れているのかは分かりませんでした。
数年前。
なんだったかな。
大学生のころに、お宝鑑定団にその絵を鑑定してもらっている会を見てだったかな。
『私の話を聞いてくれ』
というその絵の、一瞬を切り取ったのに、けど次の瞬間やその前の瞬間が見えてしまうような切れ味の鋭い絵。
そして、多くのひとが何気ない日常の一瞬として見逃してしまいそうなその瞬間に溢れる狂気を見逃さないその絵のすごさ。
一瞬にして、「心」ではなく、「内臓」を掴まれたような、
不快さであったり、強い圧力を感じて、忘れられなくなって。
それから彼の絵をググって、カラープリンターでプリントアウトして部屋に飾っていて。
でも、なんだか迫力が今ひとつかけていて、
いつか生で向き合えるなら向き合いたいって思っていたんです。
けど、熱心にファンとかそういうものではなく
逐一展覧会とかそういうものをチェックしていたわけでもありませんでした。
それから何年かが経って。
たまたま東京に行く用事を控えていたときに
地元宮城の駅で、それもたまたま駅ナカのチラシ置き場を何を思ったかウロチョロしていたとき。
その鮮烈な、見たことある赤に、「あっ」と目が止まる。
「行こう」と決意せずとも、もう決まっていた自分がいました。
もしかしたらもうちょっと前なら行ってなかったと思うんですけど。
大げさかもしれないけど、
自分の中にずうっとある、つかみきれない孤独が、反応するかもしれないなあと。
そうして、知っているけど会ったことのない彼の絵に会いに
新幹線へと乗り込みました。
東京ステーションギャラリー - TOKYO STATION GALLERY -より
ちなみに
改札前にこんなんありました。
かわいい。
入り口です。
チラシよりも鮮烈な赤。
うわあ、すげえ。
どくどくしてくる。
ちなみに、チケットは駅ナカなので、Suica使えます。現金いらず。
関連記事:『電子マネーカード大量に持つなら、僕はやっぱ「小さい財布」オススメしたい - 人生かっぽ —佐藤大地ブログ』
入り口入って右手に券売機がありますので、Suicaかざして買ってください。
ぼくは「一般」だったので900円
入場
3階に上がって初期の鴨居玲の作品を見た後、大きなフロアに出る。
そうすると見えるのが
『蠢く(うごめく)』
『赤い老人』
『時計』
この鮮烈な赤にグッと胸を圧迫される。
一枚一枚がそこそこの大きさを持っていて、そこのキャンバスびっしりに赤を散りばめる。
『蠢く』の心臓のようにも見えるそのモチーフが
今にもキャンバスから出てきそうなほどの音を出していた。
『静止した刻』
『鴨居玲』
世の中に鴨居玲が大きく出るきっかけになった絵。
ピタリと止まったサイコロが、ここまで止まったように描けるかと思わせるほど見事。
で、その向こう側に、ピタリと止まらない想いをサイコロに乗せるテーブルの各人。
『りんご』
ぼくは、鴨居玲が老人をモチーフにしたときからが、とても好きで。
説明書きのところには、
老人に対しての鴨居の優しいような目線が見える
という書き方がされているんだけれども、
ぼくにはどうにもそう思えず、
彼が老人のしわの向こうにある積み重ねてきた、
複雑な感情やら狂気みたいなものを感じる。
彼にとって、「老い」とそれを象徴する「シワ」は、
仮面のようなものに見えていたんだろうと思う。
りんごを向いている老人を、こんなにも恐ろしく描けるひとがいるだろうか。
『酔っぱらい』
老人以外に、彼を代表するモチーフのまたひとつに、酔っ払いがある。
けど、その酔っ払いも、どこかおかしげに見えて、怖い。
次の一瞬、そしてその見えない顔が影になった部分
何が起こるのだろう、何を考えているのだろう、という恐怖感が離さない。
鴨居玲にとって、酔っ払いは
その道化た姿の向こうに、何かを隠した存在だったのだろうと思う。
『老兵』
その縦に大きな姿に、まるで巨大な屋久杉でも見たかのような
偉大さ、畏怖、そういうものが湧いて出てきて、
軽く息が止まり、それからゆっくり大きなため息が出る。
手を失った老兵が、必死に何かを訴えかける。
何を訴えているのか。
自分の誇りか、助けを乞うているのか、世の中への不満か。
『私の話を聞いてくれ(未完)』
初めて鴨居の絵を見て揺さぶられたきっかけになった絵。
けど、今回は、構図も違う、未完の絵。
未完だけれど、いや、未完だからなのか
鴨居らしい「一瞬さ」はハッキリと強く出る。
次の瞬間には大きな叫び声が館内中に響き渡りそうな。
そんな一瞬。
その一瞬さに、ついには涙が出そうになった。
「そこまでして、何をしがみついて伝えたいんだ」と。
しばらく立ち尽くして、動かなかった。
晩年、鴨居は持病の悪化もあり、思うように絵が描けなくなる。
新しいモチーフに取り組んでも、彼らしい一瞬さを失う。
どんなに苦しかったろう。
どんなに苛(さいな)まれただろう。
言葉にならない不安感が自分の内側を蝕んで広がっていく感覚を、
ぼくらも人生のある瞬間に感じるけれども
かれのそのときは、ぼくらのそれよりも、もっともっと大きなものだったんじゃないかと思う。
そして彼はそれを絵で訴えかけるようになった。
『私』
『鴨居玲』
鴨居が追い詰められ、けどもそれを自分自身であざ笑う代表的な作品。
真っ白なキャンバスが描けない鴨居を表している。
で、その周りにあるのが、今まで彼が描いてきたモチーフたち。
過去の時代が、彼を悩ませ、笑う。
その絵のサイズは各辺2m近いサイズで、その迫力も、強く強く迫ってくる理由のひとつ。
そしてその自らをあざ笑い、
「自分とは何か?」「自分の生とは何か?」
を見つめ、描き続けた人間は、
最後、自らの姿を道化師として、
しかもパフォーマンスをする前の道化師のような姿で
描き始め、あざ笑ってみせる。
老人を通して「生きていく」ということを描き
酔っ払いを通して「道化る」「他人に自分を見せる」ことを描いた
そんな鴨居の最大のジョークにして、最大の哀しみだった。
『肖像』
『鴨居玲』
そして鴨居は、最後自分の命を酔いにまみれた中で消す。
人生とは、こうだ。
どうだ?
そんなふうに、問われた思いがして、なんとも答えようがなかった。
出てくると、
しばらくは現実に戻るために頭の中がふわふわしていました。
帰る途中にポストカード売り場なんぞがあったので、記念に購入。
行ってきたよー東京ステーションギャラリー鴨居玲展。
大好きな画家。
相変わらず内臓が重くなる感覚だった。
近々ブログに詳しく書こう。 pic.twitter.com/ULL6AAOmdS
— 佐藤大地 (@daichisato88) 2015, 7月 17
”憂きも一時 嬉しきも 思ひ覚ませば夢候よ 酔い候え 踊り候え”
歌集『閑吟集』の中にあるこの歌の一節『踊り候え』は
今回の展覧会の名前でもあるけど、鴨居玲の作品のひとつのタイトルでもあります。
一瞬一瞬、今このときに、様々な感情を抱える人間。
それに向き合った鴨居玲でもありましたが
それに愛想を尽かしたようにも見える鴨居玲。
やっぱり「感動」なんて言葉では語りきれないけど、
少なくとも、大きなものをもらった感じはあります。
ありがとう鴨居玲。
最終日は、明日7/20だそうです。
人生を、かっぽしよう
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