もう一度、ブログをやってみよう。
という気持ちを、ここに書くのはもう何度目になるだろう。
最近よく、旧友に会う。
会いましょう。
そう言われるたびに後ろめたい気持ちになる。
なんだろうな、この感覚は。と思っていた。
それが、先日言われた言葉でピンと来る。
「最近はブログどうですか?」
その瞬間、あ、これだ。と気づく。
ここに書いているように、
誰かに何かをアピールするためにブログをやっていたのではなくて
そう、自分にある意味で「無駄さ」を作るために、ぼくはブログをやっていたのだと思い出す。
「無駄さ」は「豊かさ」だ。
世の中の他の人も、日々自分のメインの場所のことで頭がいっぱいで。
だからこそ、他人が無駄なことを考えていると、ありがたくなる。
バラエティ番組みたいなもんだな、と。
自分から調べようとは思わないけれど、
たまたま目に入れば「へえ、面白い」なんて見る。
それで、観ている間はとてもリラックスする。
誰かにとって、ぼくはたぶんバラエティ番組で
会ったら会ったでまあ面白い人でいたんだろうし
自分もそうありたいと望んでいた。
旧友に会った時の後ろめたさってのはこれで。
たぶん、話していても今の自分全然面白くねえだろうな。
と思っていたのは、こういうありたい自分じゃないからで。
だから、己を、恥じた。
本当にありたかった自分は
なんかこいつ、毎日思考ぐるぐるしてこんなこと考えてんだ、へえ。みたいな。
そういう天然記念物的な存在でいたかったんだよな。
と思い出したんですね。
で。
Twitterに書くのも違うな、と。
ここに、ブログに書くから意味があるんだと、やっぱり思います。
本当に、ブログに救われていたのは、ぼくだったんですよね。
書こう。と決意しました。
でも、また書かないかもしれません。
そしたら、またおんなじことを書きに、ここに来ようと思います。
人生を、かっぽしよう