椅子を買った。
ずっと欲しかった。
理想。椅子って理想。
なんかかっこいいじゃん。
1年くらい
悩んで、悩んで、やっと買えた。
で、来てビックリする。
え、組み立てるの、これ。
すっかり組み立てられた状態で来てくれるもんだと勝手な想像をしてたもんだから、驚く。
ということで、組み立て。
あいも変わらず不器用なぼくは、ネジを回そうと試みるものの穴にハマらず、おい、おい、とか言いながら葛藤すること30分以上。
ようやくハマってきたところで、ネジがグルグル小気味よく入っていく。
「花は何も言わないからいいよね」
あるとき、花が好きな母が花に水をやりながら花に言っているのかぼくに言っているのか分からない感じでそう言っていた。
それが今の年になるとちょっと分かる気がする。
人を相手にしていれば、いちいち相手の反応を気にする。何か言ってくるかもしれない。態度で示すかもしれない。
でも、花はただ黙っている。
こっちが好意を示しても、ぞんざいに扱っても、素っ気ないくらいに、ただ黙ってる。
そういうことが、逆に気持ちを穏やかにすることもあるよね、とぐるぐる回りながら、深く入っていくネジを見ると思う。
それでも、誰かがいてくれることが幸いな時もあることも知っている。
誰かがいれば、ぼくが椅子のパーツの「R」と「L」を右左反対につけているときに教えてくれる人もいただろう。ぼくはすっかりラージサイズのLかと思っていた。誰もいなくて良かったかもしれない。
語られないことの穏やかさ。
それは数年前に農業支援をさせてもらっていたとき土を触りながら思っていたことでもある。
土に対してただ黙って仕事をし続ける、なんとも言えない心地よさがあった。
片時も電話を手放さない仕事にはないような心の持ち方ができた。
誰かの反応、reaction(リアクション)なんていらないから、こちらの働きかけ、action(アクション)と、心の感じ方(feeling)があれば、人間はもっと幸福に生きていけるかもしれない。
人生を、かっぽしよう。