人生かっぽ

人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

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たまには日記的なことを書いてみようと思う。

友人の話。


この三連休、ぼくは大切な友人たち2人と遊んだ。
遊んだと言っても
ただ一緒にごはんを食べて、話をしただけだ。


一人は途中で帰ったけど
もう一人とはコーヒーを飲みながら
最近思うことをあーだこーだ話した。


男1人、女一人、そしてぼくの3人。
ぼくと、男友達と、女友達。
けどもはや男も女も関係ない。
その単語を入れる意味はあまりない。


基本的にぼくはエゴイストなので
利害関係がないと人付き合いできないタイプだ。
それ以外のコミュニケーションは、ひどく疲れるので避けたい。


だから、
男友達だったら自分の仕事になるような人とコミュニケーションをとるし
女友達だったら自分が可愛いと思ってその先のこととか考える人とコミュニケーションをとる。


けど、その友人たちは、どっちでもない。


それは何か
一仕事終えたときかもしれないし、
たばこをふかしているときかもしれないし
1日が終わって布団で目を閉じる瞬間かもしれないし
そういうときに、何となく思い出す。
何となく思い出して元気?って言いたくなる。



そういう存在がぼくにできたのは、とても変な感覚でもある。




昨年、祖母が亡くなった。
そのちょっと前に祖父がなくなった。


祖母が亡くなる前から
「人がいなくなる」
ということについて考えた。


新しいものを得るということは
それをなくす未来も受け入れるということ。
新しい人間関係を得るということは
それを失う未来も受け入れるということ。


だったら、そんなものはなくていい。
いらない。
こんな気持ちになってまで、いらない。


だから、今持っている関係を手放した。


「時間とって会っていただけませんか?」
「このイベント来ませんか?」
「飲みに行きませんか?」
「ちょっと企画を一緒に」

そういう関係に対して
全て「すいません行きません」と断った。
申し訳ないという気持ちはなかった。


その反動でいろんな人を好きになってみた。
けど、むなしくなるだけだった。
好きだと言った後にそれほど好きじゃない自分を見つけたから。
何か確実な関係が欲しくなっていたのだと思う。
ずっと自分から離れない関係が。
だから手当たり次第「好き」と言った。
けど、それは「好き」の中にはなかった。



そこから、なぜだろう。
彼らの顔が浮かんだ。


たぶん
彼らが、もしもぼくのそばから
理不尽にでも、意図せずだろうが、どっちにせよいなくなっても
その悲しみなり怒りなりをぼくが受け入れる覚悟ができる人たちだからだろうと思った。


それが以外の人には、きっとぶつけてしまうだろうから。


つまりは、これから来るだろう哀しみが
(ってのは重すぎるけれども)
彼らからもたらされても、ぼくは受け入れられるだろうと思ったわけだ。



人と会うときに「狙い」が無く会えるというのは、ぼくには新鮮で。
ただ飯食って
ただコーヒー飲んで。
ただ1日が過ぎて。
そんな感覚は恋人にさえ抱かなかった。


ぼくが人付き合いに不器用なだけなんだと思う。
他のひとたちはきっと平気でこういうことができているんだろう。
ぼくは、やっとそれを得ることができて。


何か新しい、気分です。