愛情へ、ようこそ
ぼくが知らない時間が,
ぼくの家族にはありました。
見た瞬間、
ちょっと罪悪感を持ったんですが
母と父の結婚するかしないかくらいの
アルバムに出会ってしまって。
そこには、
まだぼくら姉兄弟(きょうだい)が生まれてない頃の
ドライブをするラブラブな両親の姿と
母のコメントが
一緒に載せられていました。
「運転を頑張ってくれました。
ありがとう。
体調もいろいろと気づかってくれて
やさしい◯◯です」
「◯◯」には、
母が当時呼んでいた父の
あだ名が入っていました。
ぼくは、
母が父をそんなあだ名で
呼んでいたことも知らず。
ぼくが物心ついたときには
「おとうさん」「おかあさん」
とお互いに呼び合うようになっていたから
そういう雰囲気のふたりを知りません。
けど
なんだか、むずがゆくなるような、
嬉しいような、感覚。
アルバムをめくり続けると
ふたりは結婚して
母のお腹が大きくなり
姉が生まれ、
両親の間に姉がいる写真になっていく。
ああ、幸せそうだな、おめでとう
と他人事ながら思う。
そこに数年して、兄が生まれ。
世話焼きな姉が
小さいながら兄の面倒を見ている。
それを、母と父が囲む。
また、いいなあと、思う。
ぼくはそのときの家族を、知らない。
そこにぼくはいないから。
けど本当に、幸せそうに見える。
そして数年後、
ぼくは生まれ来る。
小さなぼくを
姉と兄が見守り
父と母が見守る。
祖父母がそれに微笑む。
当たり前なのだけど
ぼくは、
ぼくが生まれてきた世界しか
知りません。
けど、ぼくが生まれる前の世界も
間違いなく存在していて
その世界には
たっぷり愛情がたくわえられていて。
きっとそれは
ぼくのためではないけども。
そこにたっぷりの愛情があったから
ぼくは無事にこの世界に着水できた。
この愛情の中に
ぼくが生まれてきたんだ
ぼくは迎え入れられたんだ。
迎え入れられた瞬間を、想う。
そう思うと、
たまらなく涙がこらえられなくなって
笑って止めどなく涙が出てくる。
きっとまだ、
いまここに落ちてこない幸せも
あるんだろうな
あるんだろうか
そう思って、上を見上げたくなります。
きみのために幸せを作っておこうなんていう
出来た人間なんかじゃ全然ないけれど
何かがここに落ちてきたときに
十分なくらいたっぷりな幸せは、
ここにあると思ってる
とりあえず、ぼくは生まれてきて良かったよ。
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