捨てますか? と聞かれると、きっとさみしくなるのだ。ぼくらは。
先週末、せわしなく花見をしていました。
北東北の桜は遅くて、
よくある「卒業に桜」なんて夢のまた夢で、
4月さえも通り越して、ゴールデンウィークへと突入して、
やっとこさ咲くのです。
けれどそのおかげで、ゴールデンウィークという行楽シーズンにしっかり花見旅行ができるから、
北東北の桜ってのはゲンキンなやつだとか思ったりするわけで。
ぼくはと言えば
会社で辞令が出て
秋田で始まった生活もあっという間に終わり
青森に行くことになりました。
北へ
北へ。
この1ヶ月ほどは、仕事であっちゃこっちゃ行く日が増え
1週間こっちで暮らしたかと思うと、次の1週間はこっち、
そうかと思えば明日はこっち、明後日から明々後日はこっち
というふうに、移動で忙しぶる人間でいられるので満足です。へへへ。
この文章も秋田から青森に行く新幹線の中で書いています。
ある土地を去る。
「目をつけていたあのカフェ行きたかったんだけどなぁ」
なんてことを思いながら、
行けなかったなあというあっさりとした後悔の念だけがぼくの袖をつかむのだけど、
こうやっていろんなところを飛び回ってると、
一周回って、ま、いつかまた来れるかと開き直れるんだなと気づきまして。
持たない勇気。
ってのがあると思う。
断捨離というかたちで流行ったこの言葉は
あんまり固定のものを持たないことで、
そのことについて悩む時間をなくしてしまおうというもので。
まだ新しい部屋に入れずホテルを転々として暮らしているぼくは、
今やキャリーケースで移動する身でございまして
日々の服やらメガネ、整髪用ワックス、USBポート、仕事用のPC、ノートくらいしか持たず動き回っている。
そう考えると、
自分が所有していないといけないものなんてたかが知れていて
自分の身体に身に付けるものくらいなんだよなって思うに至った。
そう言えば、今回の引越しも、段ボールをほとんど開かず
引越し前の準備と言えば、中身が何かを確かめるためだけに開けたダンボールの口をただガムテープで閉じていくだけでよかった。
自分は一体にして何をそんなに大切そうに持っていたんだろう。
持たない生活をしていると、自分が大切そうに持っていたものが何だったのかなんてことは忘れてしまって、ちょっとだけさびしくなる。
捨てますか?
と聞かれると、きっとさみしくなるのだ。ぼくらは。
昔の恋人の手紙も、何となく買ったトマトの缶詰も、このシーズン着なかったシャツも。
何も言われなければきっとなくなっていることさえ気づかなかったものが
「捨てますか?」っていざ目の前に出されると
「いや、使うんです」と言ってしまって
むしろ使うんですと言った後にどうやって使おうかと考えるのだと、思う。
そうやって「使います」「使います」と欲求のままに手を伸ばした結果、
1着で十分な服が、あれもこれも欲しいって思って
ノートPCだけでよかったのがデスクトップPCが欲しくなって
フライパンひとつでよかったのが、オーブンレンジが欲しくなって
自分の範囲がどんどん大きくなっていくのかなと思った。
部屋の広さってのはつまり、ぼくらが欲求のままに手を伸ばした範囲なのかも知れない。
もう少しだけホテル暮らしは続きそうで、
引っ越したとき久しぶりに見る大量の荷物を目の前にして
ぼくは何を思うんだろうか。
日々はもう少しだけ忙しなくなりそう。
人生を、かっぽしよう