僕だって生き方が分からない
人の生活を覗き見している感覚になる。
最近YouTubeでルーティーン動画ってのをだらだら見ている。
会社員の頑張ってる系の人とか、夫婦の日常とか。
ルーティーン動画ってのは、特に画面に向かって何かメッセージを伝える動画ではなくただただ日々の生活を朝起きたところから夜寝るまで撮って、流すだけの動画。
なんじゃこれ。
YouTubeの動画リスト欄を見たとき、最初は唖然とした。よく分からない文化がそこにはあって、一体誰がどんな目的でこういうの観るんだよと思った。
海外だと[GRWM動画」として主に朝の準備の化粧動画で流行っている(Get Ready With Me「一緒に準備しよう」の略)
有名人ならまだしも、よく分からないカップルのルーティーンとか、女子中学生のルーティーンまである。こんなの近所のお子さんの日常みたいなもんじゃねぇか……
なんか芸人みたいな面白さでもあるんだろか……。
……。
分からない。
そんな感じで最初は理解できなかったのだけど、いつのまにかそういう動画を、寝る前とか起きたとき布団の中でおもむろに再生ボタンを押して、流す。そしてまたYouTubeを開くと、おすすめリストの一番上にあるから、再生する。
そうして、いつの間にかどっぷりルーティーン動画を見続ける自分がいた。
たぶん、生き方がよく分からないんだ。
としばらくルーティーンを観る日々が続いた中で思った。
「成功の道はただ一つ。自分だけの生き方を見つけることだ」
クリストファー・モーリイのそんな言葉があるけれども、自分だけの生き方なんてそこに比較する他人がいなければ分かるわけがない。
家族から離れて一人で暮らし、ご近所付きあいがあるわけでもなく、こうやって会社員として生きていて、他の人って何してるんだろう?気になるに決まっている。もしかしたらこんな怠惰な生活してるの自分だけなんじゃない?そんなことあるわけないけど、あったら嫌だなぁなんて思いながら、安心を求めて、再生ボタンを押す。
自分の無意識を解剖すれば、たぶんそういうことだ。
誰かと同じ人生は嫌だけど、誰かと同じ安心感は得たい。
なんとも矛盾した気持ちが共存する。
逆に言えば、だ。
今まで見たくても見れなかった多種多様な人の生き方がすぐに観ることができる。
何にだってなれるかもしれない。
自分の姿を他人のルーティーンの中に重ね合わせる。たぶん、ぼくが、やっているのは「他人の生活や人生の試着」なんだと思う。
生活の共有が家族や恋人だけ、という考え方が変わろうとしている。
見ようと思えばいろんな人の生活がそこかしこに流れている。どんな自分にだってなれる。
あとは傍観者でいるか、参加者でいるかは、自分次第なんだろうな。
人生を、かっぽしよう