人生かっぽ

人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

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僕の生き恥だった頃の話をしよう

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Apple Watchの調子が悪くって、なんの時計つけていこうかなと思っていて、
手にとった時計が浪人時代から大学初期までつけていた時計だった。

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今つけているApple Watchなんかよりもビジネス色が強い時計。
久しぶりにつけてもそこそこしっくりくる。

二浪目のときに、大人になりたくて、つけた。
親が持っている時計を、なかばパクったような形だった。

強烈な原体験がある。
二浪目のとき、早朝のバスでぼくは仙台の予備校に片道1時間ほどかけて通っていたのだけど、途中途中で地元から仙台の大学に通う「かつての」同級生たちが乗ってきた。
顔も名前も知っているけれども、そんなに話すわけじゃない。そんな人たちだった。
彼らの行く大学は2大学ほどしかない。
だから、自分がそこの大学ではないってことは分かられているわけで、そうすると残る選択肢は「ぼくが大学生ではない」ということだ。
それがバレるのが恥ずかしくて、停留所に止まるたびに、ぼくは下をむいて寝たふりをして、ちょっとだけ隣に荷物をはみ出させて、隣に座るな座るなと念じ続ける毎朝だった。
しかもたまに中学のときに好きだった子が乗ってくる。それも最悪に恥ずかしくて、見えないように必死だった。

そういう環境の中だったから、腕時計が必要になったとき、できるだけ背伸びをした時計を持ちたかった。
できるだけ大人っぽく見えるもの選んだ。

この時計を見ると、あのバスの中の原体験が思い出された。
バスの中で、自分が1分1秒を競争に負けるかもしれない恐怖と戦いながら昨日やった参考書のページをめくっているのに、よく分からない話題でケラケラ笑っている彼ら。
そんな風に時間を使っていることが、異常に腹が立ち、歯ぎしりしていた自分。
大学に入ってもこんこんと湧き続けていた「ぼくは遅れている」という感覚。
大学時代の最初はその感覚がぼくをずっと支配していた。
けれど、どれだけ走ってもあの時間の差はなくならなかった。

それも自分の人生。
と語ることは、安易すぎるように思う。
それほど明るい話ではない。

同級生とお酒を飲む機会があり、その席で「大地はすごいなあ。なんか別のところで生きてるね」と言われた。
子供がいる人にも「結婚して子供を持つことが人生の全てじゃないからね。大地のような生き方がいいなと思うこともある」と言われたことも。
彼らが羨ましくて生きてきたのに、いつの間にかぼくは次元を超えて地球人ではなくなっていたらしい。カルチャーショックだった。

時間の刻み方は1つではない。
いつか羨ましいと思っていた人たちも、時が経つと今度は自分を羨ましいと思う。
じゃあ自分は満足か、と聞かれれば「結婚いいな」とか「子供いいな」とか思ったり、「ぼくももっと年収いいとこ就職しても良かったかも」とかまた羨んだりする。

人生を、かっぽしよう。
自分の手元こそ、一番見ていなかったりする。