バレンタインデーの日、友だちは
バレンタインデーほど、むごたらしい日もないと思う。
その日ほど、自分が無視される日もないから。
忘れもしない小学校のときのこと。
バレンタインデー。
その日、誰にとって「ぼく」という人間が大事なのか
はっきりする。
目の前でやりとりされるチョコにまざまざと見せつけられる。
学校社会から飛び出すと前よか気にしないのだけど
学校社会に生きているときは、チョコやらクッキーやらをもらうということは
自分が相手にとって大切な人かどうかということが、恐ろしいほどはっきりする。
いつもは形にされていないからこそ、
気づかずに済んでいた自分に対する関心・無関心がはっきりさせられる。
こんなに人間にとってむごたらしいこともない。
忘れもしない小学校のとき
友だちが、自分がもらったたくさんのチョコを自慢していて。
ぼくは知ってた。
ぼくは黙っていたけど
その中に、友だちが数日前に自分でスーパーで買っていたチョコが入っていたことを知っていた。
もちろん、友だちはぼくがその現場を見ていたことを知らない。
ぼくがそのとき、何も言わなかったのは
友人を気遣ってたとかそんな理由じゃなくて。
そこに、僕自身の姿を見たから。
彼がそういうことをやっていなかったら、ぼくがやっていたから。
チョコを渡す。
たったこれだけのこと。
渡す、渡される、の人たちはそりゃ一大イベントだし
単にチョコを渡すだけじゃなくて
そこにはいろんな気持ちが入っているから
その気持ちを受け取ってもらえるかもらえないかの緊張もある。
ただ、そこに入らない、という人の孤独。
自分が関心を払われていないということの孤独。
誰かの一番になれていないという孤独。
誰かに見ていてほしい。
自分があなたが一番だよって言ってほしい。
そういう欲求のカタマリのぼくは
なあ、ここにいるよー
と大きな声で、叫びたくなる。
少しずつ大人になるにつれて
満足の量を少しずつ少しずつ調整してくる。
これでもいいや。これでいい。
そうやって折り合いをつけていく。
あなたの全部じゃなくても、あなたのちょっとをもらえればいい。
それは、人からもらうものだけじゃなくて。
例えば
自分のために買ったチョコレートが美味しかったりもする。
ちょっとだけ日差しが気持ち良かったりする。
通りすがりの犬が笑ってるように見えたりする。
そういう自分だけに向けられたものじゃないところからも少しずつ満足を足し算していく。
それは悲しさのまぎらわせなんだろうか。
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2/15まで宮城県美術館で開催の宮城教育大学美術専攻の卒展で見ることができます。
15日まで宮教大「卒展」 県美術館 | 河北新報オンラインニュース
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