人生かっぽ

人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

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僕が言われて不快になったのは、話を「つまり」で「圧縮」されたから。心地良いのは「違うよね?」

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その言葉は、なんだかぼくを不快にしました。


「つまり、フリーミアムだね」

と、その人は、ぼくの提案したビジネスの意見を一言で片付けて、
だから何でもなく、終えてしまったのです。

「つまり」


この言葉がいかに人の意見を潰すかを、ぼくもそれまで意識していなかったのですが、
ある先輩の言葉が、相手の意見を潰さず伸ばす「添え木」として、とても助けになったのです。

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WP_000005 / kamosawa

その人はぼくを不快にした。

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R0013530.JPG / shrk


飲みの席。

ビジネスの課題について意見を出し合おうという話になる。
ていうか、意見をぜひ聴きたい、くらいのテンションで言われる。

「ここまでを無料で提供して、
 気に入ってくれた方に有料のプランを提案したら、
 もっとクライアント増えますよ、きっと」
とぼくが少し熱っぽく言うと

ちょっと聞いてるような感じをしてから

「つまりフリーミアムだね」

みたいに言う。

いや、そりゃそうなんだけど
そういう話をしたいんじゃなくて。
もっと自分なりに言いたいことがあって…

悪気はないんだろうけど
なんとなく、ヤな感じを受ける。


その後も、

「その話はプラットフォーム化だよね」
「それはリピーター戦略だよ」

そんな感じで返される。

なんだろう、
このイライラする感じ。



その一件が妙に頭の中にこびりついて、
あのとき、どうして嫌だったんだろう?
と考えていました。



そうしてあるとき、また同じ感覚になりました。


他の人と、議論していたときに
「佐藤くんの考え方は共同体主義者だね。
 あるいは、アリストテレスと同じ主張だね」
と言われたのがきっかけです。


これだ。


今度は不快感が言葉になって出ました。



人の話を圧縮して型にはめるな。

そうか。
ぼくはこう言いたかったんだ。



自分もやってた「3分クッキング」


ジェノバソース
ジェノバソース / kanonn



「つまりこういうことだよね」



コミュニケーションのスキルとして「傾聴」の方法を勉強してると、
「言い換えてあげる」とか
「要約して繰り返してあげる」とか
出てくるのですが、そのとき初めて気づいたことは


下手にやられると、
腹立ってしょうがないんです。


こっちが一生懸命頭働かせて、言葉選んで話したのに
あなたのすでに頭の中にあったことの枠にはめられる。
あたかも、料理の下ごしらえを一生懸命やってきたのに、
「こちらが完成品になりまぁす」みたいに出されるような。
え、そんな風にすり替えられるならじゃあ私の料理努力とかいらないじゃん、みたいな。


そしてこのとき同時に、やっと気づいたのは
自分もけっこう人に腹立つことしてたわ、と。


ぼくなんか明々白々に
ぼくそれ知ってますーみたいな感じで
「それって◯◯の話だよね」
とか、年下の人中心に、言ってたわ、と。


しかし、悩んだことは
じゃあ自分の理解と相手の意見を照らし合わせながら話したいとき、
どうしたらいいんだ、と。
どうしても、圧縮してしまう。



人の意見に「添え木」できる先輩

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100_1092 / misawakatsutoshi



これが解決したのは、心地が良い質問をする先輩と出会ったからです。


先輩と仕事上、ある資料を見て自分なりの意見を出した時にこういう質問が来る。


「佐藤君の意見は、おれのさっき言っていた意見とちょっと違うよね?」


その質問に対してぼくが答える
「あ、そうですね、ここの部分はちょっと違う気がします」
「あーそこね、ここの部分とここの部分が違うんだ」
「そうですね、ぼくはこう思って…」
心地が良かった。
どんどん自分の意見が上に上にと伸びていく感覚。そう、添え木。
自分の意見が圧縮されて型に入れられた体験とはまるで違う。


その先輩はそのとき以外にもよく
「違うよね?」「どう違うの?」
と聞くので、いつかの機会に聞いてみました。
「よく聞きますよね、『違うよね?』って」


すると、先輩は
やっぱり意識して言っていたところもあるようで、
あーそれかーと言う。
自分の意見ってだいたいなんかの真似だと思うんだ。
 けど、その真似の中にもほんの数%とか、数ミリとか、
 そこに自分なりの言いたいことが入ってる。
 どっちかと言うと、それを引き出したいんだー。

 だから、『これとは似てるけど違うんだよね?』って聞くようにはしてる」

ぼくはこの意見がとても気にいりました。


オリジナリティは、
誰かの真似をして、
けど、ちょっとだけはみ出た部分。

けど、とても大事な部分。


「これとどう違うの?」
と言われると、
違いがあることや、オリジナリティがあることが前提で話が進む。
すると、言葉にならないところから、
自分のオリジナリティをたどたどしく、
けど少しずつ言葉になって、自分のオリジナリティを見つけに向かう。
で、見つかると、ああ、これだったんだ、と恐ろしくスカッとする。



先輩に「どういうきっかけでそうするようになったんですか?」と聞くと
「人の話を、ああ、その話はもう聞いた聞いたってあしらう上司が嫌で」


なんだ、だいたい同じじゃん。




誰だって誰かの考えていることに似ている。
けど誰だって誰かとは違うことを考えている。

その柔らかいもわもわしたオリジナリティを引き出したいなと思うようになりました。

「〜とは違うの?」

こう聞くようにしています。



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