恋愛偏差値が高すぎて、彼女はつまらなくなっていった
「恋愛偏差値」の話になるときが、女性たちと話しているとよく出てきます。
「高いほうが良いと思っていたけど、違うような気がしてる」
と、そのとき彼女は言いました。
「ゼイタクだなあ」とぼくは思ったのですが。
「恋愛偏差値ってあるの?」
と言われれば、ぼくほ
「あるでしょ」
と答える。
車道側を歩くのが優しさだと気づいてそれが素直にできるようになったのは、そりゃ恋愛を意識してからだし、
女性が「ありがとう」って返してきたときは「そろそろやりとり終えましょ」ってことだと気づけるようになったし
「これかわいい」と言うのは「これもらったら嬉しい」という意味に近いということも分かるようになった。
「恋愛で相手を心地よくさせる成績」
それを「恋愛偏差値」と呼ぶならば
恋愛偏差値というものは確実にあるし
それは多くの人と付き合うと、やっぱり経験は増えて、成績は上がっていく。
問題はそこから。
恋愛偏差値って高いほうがいいのかなぁ。
という話になる。
「恋愛偏差値ある人はちょっといいや……」
と彼女が言い出したのは意外で。
「そうなの? あんなにいいって言ってたじゃん」
と、以前とは真逆のことを言い出した彼女に、話を聞いていたもう一人の女性が切り出す。
最初は、良かった。
美味しいところ知ってるし、気配りもできるし、旅行いく時も全部やってくれてるし、
しかもめっちゃ知らないようなところ教えてくれるし。
彼女は一番最近別れた彼氏のことを言っていた。
「めっちゃいいじゃん」
「けどさ、なんかだんだん置いてけぼりになってたっていうか」
置いてけぼり。
「いっつもこの人に楽しませてもらう側だなあと思ったら、なんか悲しくなった」
と彼女が言う。
ゼイタクだよ。
ぼくは思ったのだけれど。
「一緒に楽しみたかっただけなんだよね」と彼女が言ったとき
「一緒に」
その言葉に、それはゼイタクじゃないかもしれないと思う。
なんでもかんでも気づかって欲しいわけじゃない
TOKYO - Shibuya - Kaitenzushi - un sushi sur le tapis! / chacrebleu
女性に話を聞くと
ある程度「気づかい」ができるほうが良いと言います。
それはつまり、恋愛偏差値がある程度は高いほうが良いわけで。
そこは「初めて」を好む男性とはけっこう数の違いが出るところ。
その「気づかい」ってのは、
やっぱり「いろんなことを知っていてくれる」ということみたいです。
けど、知り過ぎても、それはそれで寂しいのだろうと思うのです。
人間、安心感はある程度あったほうが心地よいのですけど
不思議なもんで、全てが全て、安心感に変わると
それはそれで物足りなさへと変わってしまう。
全てがわかっている安心感は、
きっとどっかの「サービス」にもてなしてもらえば良いわけで
「これ美味しいのかな?」
「ここ楽しいのかな?」
「この先どうなるんだろう?」
こういう不安定感を、ふたりで突っ込んで共有できることにこそ
恋愛をする意味を感じたりもする。
求められる側からしたら、難しいところだとは思うけれども
それは、ゼイタクなのかな、どうなんだろうな、と思ったりします。
恋愛偏差値の高い「サービス」のような恋人を求めるほうが、
ゼイタクのような気もするんです。
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