第1回愚痴聞き選手権を開催します【愚痴が多い人の対処法】
愚痴を言う人を前向きにしたいという気持ちは、自分がおせっかいだと認識している人は誰しも持っていると思う。
前回、愚痴について書いたんだけど、「こういう記事を書いてみたらニーズあるのかな?」と質問したら、反響が良かった。
5人もFacebookページにいいねをくれました。
世界は5人もぼくに反応をしてくれる。すばらしい。
と、言うことで今回も愚痴について書いてみようと思います。
前回の記事はこちら
www.jinseikappo.com
愚痴を言いながら母が泣いた日がある。
母がその時の職場に対していろんなわだかまりを抱えていた。
あの人、こっちが何言っても全部こっちのせいにしてくるの。
あの人はあの人でいっつもこんなことしているのに。
帰ってきて、バッグを置けばスイッチが入ったように喋りは始める。
口を開くと愚痴を言う。
大変そうだな。
台所のテーブルに座ってブログを書いていたぼくは、タイピングの手を止めて話を聞くのが日課になりつつあった。
自分にとって大切な人が自分のどうにもならないところで苦しんでいるのはなんとも言えない気持ちになる。
そんなとき、ただぼくらは話を聞くしかない。
そしてできれば自分の持ちうる知識と経験を伝えることで、目の前の困難を乗り越えて欲しいと思う。
そうして生まれるのが、アドバイスってやつだ。
ただ、アドバイスってのは無情だ。
こちらがその人に蜘蛛の糸を垂らしたいがために差し出した言葉なのに、相手はだいたいアドバイスをこう捉える。
「そんな状況私だったら抜け出せるから、教えてあげるよ」
たしかにそう思ってしまうこともある。
けど、そんな気持ちよりは少しでも状況が良くなって欲しいと思っている。
じゃなかったら人生の大切な時間を使って他人のことに関わろうとしない。
ぼくと母の関係もだいたいそうで、「こうしてみたら?」「その人はこう思ってるのかもよ?」そんなことを言っているうちに母はちょっとヒートアップし、ぼくはちょっとため息交じりにPCを開きまたタイピンをし始める。
けどまた、次の日も同じことをしてしまう。
そんなある日、ついに母は泣いた。
「私だってもう無理なのよ。頑張ってるのにこれ以上どう頑張ればいいの」
そのときは、ぼくはため息をつけなかった。
愚痴を言っている人は追い込まれているのだ。
ぼくは母との経験でそう考えるようになった。
愚痴を言っている人を目の前にして、ぼくはまずは徹底して愚痴を聞くようにした。
「愚痴聞き選手権が開催されております」
いつしかぼくの頭にはこういうアナウンスが流れるようになっている。
どこかでたぶん頭をぶつけてしまったのかもしれない。
愚痴聞き選手権の評価の方法はいたって簡単。
目の前の人の愚痴をどれくらい長く聞くことができたか、だ。
ただし、自分の意見を話してしまったらマイナスが入る。
あくまで相手に対して相づちや共感をして、とにかく吐き出させる。
「あなたは間違っていないよ」とか味方になるのも極力NG。
自分が紙か鏡にでもなったようにして相手の意見を受けとめる。
とにかく長く長く愚痴を話してもらう。
それでいい。
愚痴を話す人は追い込まれている。切羽詰まっている。
例えるならそれは、吐き気みたいなもので、もう吐かずにはいられなくて辛い状態。
そしてアドバイスというのは食べ物みたいなもので、摂れば栄養だけれど、食べるには元気じゃないといけない。
目の前の人間が吐きそうなのに、「栄養たっぷりだよ」なんて言われて食べ物を差し出されても、ふざけんなと思うだけ。ぼくらができることは、ただ苦しそうにしている人が苦しみに逆らわずにそのまま楽になるよう、背中をさするくらいしかできないのだと思う。
大丈夫、元気になったら自分から栄養を摂りたくなってあたりをキョロキョロし出すはずだから。
考え方を変えて、ぼくも母の愚痴を聴くようにした。
それでもたまにアドバイスをして、またムッとされたりしたけど、少しずつ選手権の成績は良くなった。
母が少しずつ前向きになっていく姿はぼくにとっては喜びだった。
人間関係は良くはなっていなかった。そこはずっともんもんとしながら聞いていたんだけれど、母は母なりに吹っ切れて、立ち向かう気持ちが整っていくように見えた。
愚痴を聞くのは今でも「楽しい」なんてもんじゃないですが、それでも少しはマシになったかなと思っています。
あなたは今日、第1回愚痴聞き選手権でどんな成績を収めましたか?
もし良かったらTwitterやFacebookページで教えて下さい。
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